「こんなに苦しんできたのだから、普通の幸せくらいでは報われない」と感じた経験はありませんか。
周囲の人たちが当たり前のように手に入れている幸せを、自分だけが受け取れなかった。それどころか、苦しい出来事が続き、長い年月を我慢して過ごしてきた。
そんな人生を振り返ったとき、「せめてこれからは、ほかの人よりも飛びきり幸せになりたい」と願う気持ちが生まれるのは、ある意味では自然なことです。
この記事では、苦しんだ分だけ幸せになりたいと感じる心理と、その願いの扱い方について解説していきます。
Contents
普通の幸せは当然もらえるという思い込み
「こんなに苦しんできたのだから、今度こそ飛びきり幸せになりたい」「普通の幸せでは割に合わない」という気持ちの背景には、「このくらいの幸せは当然もらえるはず」という無意識の期待が関係しています。
この心理を理解する手がかりになるのが、心理学の「文化的ライフスクリプト」です。私たちは子どもの頃から、進学や就職、結婚など、人生はだいたいこんなふうに進むものだというイメージに触れて育ちます。心理学者のドーサ・ベルンセン(Dorthe Berntsen)とデイヴィッド・C・ルービン(David C. Rubin)は、2004年の研究で、こうした人生の節目について文化の中で共有されるイメージがあることを示しました。
幸せの形は時代や文化によって異なり、近年では生き方も多様化していますが、それでも私たちは、「自分にも最低限このくらいの幸せは訪れるだろう」と、知らず知らずのうちに期待しています。まるで人生には、誰もが受け取れる「普通の幸せのデフォルトパック」が用意されているかのように。
関連する内容は「幸せとは何か」で解説しています。
ところが、当然手に入ると思っていた幸せが得られないと、単なる期待外れでは済まず、人生の前提そのものが崩れたような大きな衝撃になってしまいます。
しかも、本人はその期待を抱いていたことさえ自覚していませんから、なぜこれほどまでに現実に不満が出るのか、自分でも理由がわからないのです。
この無意識の期待と現実との食い違いが、「幸せになれなかった」という失望や、「本来もらえるはずの幸せをもらっていない」という不足感や不公平感の原因になっているのです。
関連する内容は「「なんで私ばかり」と不満が生まれる心理」で解説しています。
幸せの埋め合わせを求める心理の流れ
では、「このくらいの幸せは当然手に入るだろう」という無意識の期待を持っていた人が、思い描いた人生を送れなかったとき、心の中では何が起こるのでしょうか。
単に幸せになれなかったという残念さだけでなく、不足しているものを取り戻し、苦しんだ分まで埋め合わせてほしいという感覚が生まれてきます。
ここからは、その心理がどのように変化していくのかを、3つの段階に分けて見ていきます。
1. 幸せの未払いという認識
私たちは無意識のうちに「普通の幸せくらいは当然もらえる」と期待しているため、それが手に入らないと、まるで自分の分だけ幸せが未払いになっているような不足感を抱きます。
例えば、結婚すれば最低限このくらいは穏やかに暮らせるだろうと思っていたのに、実際には寂しさや我慢ばかりが続いてきたとします。すると、自分でも気づかないうちに、期待していた幸せと現実との差が「本来もらえるはずだった幸せの未払い」として積み重なっていきます。
もっとも、「普通の幸せ」として何をどのくらい期待するかは、育った時代や環境、本人の価値観によって異なります。ある人にとっては十分な幸せでも、別の人にとっては最低限にも満たないと感じられるため、未払いだと感じる幸福の量にも個人差があります。
しかも、本人はこうした計算を意識的に行っているわけではありません。自分がどのくらいの幸せを当然だと思っていたのか、その期待と現実にどれほどの差があるのかも自覚しないまま、漠然とした不足感を抱えています。
関連する内容は「心が満たされない理由」で解説しています。
ここでいう「幸せの未払い」とは、本人が無意識に設定していた幸福の基準と、現実との落差によって生まれる主観的な不足感なのです。
2. 世界への埋め合わせ請求
本来もらえるはずだった幸せが未払いになっていると感じると、次に生まれるのが「その不足分は、いずれどこかで埋め合わせてもらえるはず」という期待です。
本人の中では、すでに「自分にはこれくらいの幸せを受け取る権利がある」という無意識の前提ができています。そのため、期待していた幸せが得られなかったとしても、その分が消えてなくなったとは考えず、まだ受け取っていないものとして心の中に残り続けます。
そして、「今は幸せになれていなくても、この先の人生のどこかで帳尻が合うはずだ」と、無意識のうちに埋め合わせを期待するようになります。
もちろん、誰がいつ何を埋め合わせてくれるのか、具体的に決まっているわけではありません。それでも本人の中では、自分が受け取れなかった幸福について、まるで人生そのものに支払い義務があるかのような感覚が生まれているのです。
3. 苦しんだ分の追加補償要求
受け取れなかった幸せの埋め合わせを期待するようになると、今度は「それだけでは割に合わない」という感覚が生まれます。
例えば、結婚すれば最低限の安心や愛情は得られると思っていたのに、実際には我慢する生活が続いたとします。
仮にこれから期待していた幸せを手に入れたとしても、本人にとっては、ようやく「最初から受け取れるはずだった幸せ」に届いただけです。
その間に失った時間や、苦しみながら耐えてきた経験については、まだ何も埋め合わされていません。
そこで、「受け取れなかった幸せを取り戻すだけでは足りない。苦しんだ分についても、追加で補償してほしい」という気持ちが生まれます。
もちろん、本人が意識的にこうした計算をしているわけではありません。
無意識のうちに、普通の幸せを手に入れるだけでは過去の苦しみに見合わないという感覚が積み重なり、「こんなに苦しんだのだから、今度こそ飛びきり幸せになりたい」という願いにつながっていくのです。
つまり、ここで求めているのは、本人が未払いだと感じている幸福の埋め合わせに、過去の苦しみに対する追加補償まで上乗せした幸せなのです。
苦しんだ分だけ幸せになりたい気持ちの扱い方
「こんなに苦しんできたのだから、今度こそ飛びきり幸せになりたい」という気持ちは、どう扱えばよいのでしょうか。
ここまで見てきたように、この願いには、当然得られると思っていた幸福への期待と、受け取れなかった分を埋め合わせてほしいという心理が関係しています。
そのため、自分が無意識に抱いていた期待を理解し、そこから本当に望んでいる幸福を整理することが、気持ちを扱ううえでの手がかりになります。
1. 当然もらえると思っていた幸せを知る
まずは、自分がどのような幸せを当然受け取れると思っていたのかを明確にしていきます。
例えば、ある程度の年齢になれば安定した暮らしができると思っていたのか、努力を続けていれば仕事で認められると思っていたのか、それとも、自分を大切にしてくれる人たちに囲まれた人生を期待していたのか。
こうした幸福への期待は無意識のうちに形成されているため、本人も具体的に何をどのくらい期待していたのか、よく理解できていません。
また、その水準が現実的なものなのか、理想を大きく含んだものなのかも、人によって異なります。
そこで、自分にとっての「普通の幸せ」が何だったのかを言葉にしてみると、これまで漠然と感じていた不足感の正体が見えてきます。
2. 保証への期待と本当の願いを分ける
次に、自分が当然得られると思っていた幸福について、実際にそれが保証されていたのかを考えます。
例えば、「真面目に働いていれば、いつかは経済的に豊かな暮らしができるはず」と信じていたとします。
しかし、真面目に働くことと、経済的に豊かになることの間に、必ずそうなるという保証があるわけではありません。
ここで見直したいのは、「真面目に働けば豊かになれるはず」という期待の部分です。
一方で、「経済的に豊かになりたい」という願いそのものは、何も変える必要がありません。
当然与えられると思っていた幸福に保証がなかったとしても、自分がその幸福を望んでいることまで間違いになるわけではないのです。
この2つを分けることで、これまでの思い込みを見直しながら、自分が本当に実現したい人生を考えられるようになります。
3. 望む幸せへの働きかけを考える
ここで、もう1つ気づきにくい心理があります。
それは、当然与えられると思っていた幸せを、自分から手に入れようとすることへの抵抗です。
もともと何もしなくても受け取れると思っていたものなのに、どうして今さら自分が努力して手に入れなければならないのか。
まるで、受け取れるはずだった幸福が未払いになっているうえに、それを手に入れるための労力まで追加で求められているような感覚です。
もちろん、本人がここまで明確に考えているわけではありません。
実際には、幸せになりたい気持ちは強いのに、なぜか行動する気になれなかったり、自分が努力しなければならない状況に納得できなかったりする形で現れます。
関連する内容は「やりたいのに行動できない心理」で解説しています。
こうした抵抗の背景にあるのが、「本来は当然与えられるはずだった」という無意識の期待です。
その仕組みを理解すると、これから望む幸福を実現するために、どのような働きかけができるのかを考えやすくなります。
自分の行動を変えることで実現に近づくものもあれば、周囲の人との関係や環境に働きかけることで、実現を目指せるものもあります。
どのような方法が必要なのかは、望んでいる幸福の内容によって異なります。
ここで変えていくのは、幸せになりたいという願いの大きさではありません。
当然与えられるのを待つという前提から、自分が望む幸福を実現するための方法を考えるという方向へ、意識を切り替えていくことです。
飛びきりの幸せは望んでいい
この記事では、苦しんだ分だけ幸せになりたいと感じる心理について、幸福への無意識の期待や埋め合わせを求める心の動き、そしてその気持ちの扱い方を解説してきました。
「こんなに苦しんだのだから、普通の幸せでは足りない」という願いの背景には、受け取れなかった幸福を取り戻し、さらに苦しんだ分まで補償してほしいという心理があります。
けれども、そもそも飛びきり幸せになりたいという願いに、過去の苦しみを結びつける必要はありません。
苦しんだ人も、苦しまなかった人も、どれだけ大きな幸せを望んでもいいはずです。
それなのに、私たちはいつの間にか、過去の不幸を、幸せになる資格を得るための代金のように扱ってしまうのかもしれません。
「こんなに苦しんだのだから」という理由がなくても、ただ「私は飛びきり幸せになりたい」という願いだけで十分なのです。