「女性として愛されたい」「好きな人に選ばれたい」という願いを、昔は強く持っていたはずなのに、いつの間にか「恋愛なんてどうでもいい」「男に選ばれることに興味はない」と感じるようになった人もいるでしょう。
本当に興味がなくなったのなら、それはそれで自然な変化です。
けれど、他の女性が愛されている姿を見るとなぜか強く腹が立ったり、自分より魅力的だと思えない女性が選ばれると激しい屈辱を感じたりするなら、かつて諦めた「愛されたい私」が、まだ心の奥に残っているのかもしれません。
ユング心理学では、自分の中にありながら意識している自己像から切り離された側面を、シャドウという概念から読み解きます。
この記事では、女性として愛されたい願いがどのように意識から切り離され、再び自分のもとへ戻ってくるのか、シャドウ統合までの心理プロセスについて解説していきます。
Contents
- 「愛されたい私」を切り捨てるまで
- 1. 女性として愛されたいと願う
- 2. 愛されない痛みを経験する
- 3. 願いを意識から切り離す
- シャドウに入ったあと自己価値をどう支える?
- 1. 仕事や勉強で自分の価値を補う
- 2. 誰かの役に立つことで価値を作る
- 3. 補わずに低い自己価値を抱え続ける
- 「愛されたい私」が戻ってくるとき
- 1. 他の女性に強く反応する
- 2. 「また負けた」が刺激される
- 3. 愛されたかった本音に気づく
- 「女として負けた」を捉え直す
- 1. 「負けた」は事実だったのか
- 2. 当時の悲しさを受け止める
- 3. 過去と今の価値を切り分ける
- 「愛されたい私」を自分に戻す
- 1. 願いを否定しない
- 2. 叶っていない願いを抱える
- 3. 今の人生で願いを生きる
- 愛されたい願いを持ったまま生きていく
「愛されたい私」を切り捨てるまで
私たち人間は社会的な存在なので、誰かに愛されたい、受け入れられたい、認められたいという根源的な欲求を持っています。
その中でも「女性として愛されたい」「好きな人から選ばれたい」という願いを持ちながら、それが叶わず何度も傷つくと、願いを持ち続けること自体が苦しくなり、いつの間にか「別に愛されたいなんて思っていない」と、愛されたい自分そのものを意識から切り離してしまうことがあります。
ユング心理学では、このように自分の中にありながら意識している自己像から切り離された側面をシャドウと呼びます。
ここからは、「愛されたい私」がどのようなプロセスをたどってシャドウに入っていくのか、3つの段階に分けて見ていきます。
1. 女性として愛されたいと願う
最初にあるのは、誰かに愛されたい、受け入れてほしいという根源的な願いです。
幼い頃には、「お父さんやお母さんに愛されたい」「大切にしてほしい」という形でその願いを持っていますが、成長するにつれて、愛されたい相手や求める関係も変わっていきます。
「同じクラスの好きな男の子に好きになってほしい」「この人と付き合いたい」「いつか好きな人と結婚したい」というように、誰かに愛されたいという願いが、次第に「女性として好きな男性から愛されたい」「特別な相手として選ばれたい」という願いへ形を変えていきます。
2. 愛されない痛みを経験する
「愛されたい」「選ばれたい」という願いを持った先で、自分ではない誰かが選ばれたり、自分は受け入れてもらえなかったと感じたりすると、その経験は強い痛みとして残ります。
そのきっかけは、恋愛のようにわかりやすいものばかりではありません。
- 好きな男性が別の女性を選び「私は女として負けた」と感じた
- 父親が母親を優先する姿を見て「私は選ばれなかった」と感じた
- 容姿を比べられ「私は女性として魅力がない」と感じた
- 大人から容姿を否定され「私は女として劣っている」と感じた
出来事そのものは違っていても、心の中では「愛されたかったのに愛されなかった」「選ばれたかったのに選ばれなかった」という同じ痛みにつながっていきます。
そして、その経験が本人にとって大きいほど、「あのとき選ばれなかった」だけでは終わらず、「私は女性として選ばれない」「私は女として負けている」という自己認識にまで広がっていきます。
3. 願いを意識から切り離す
愛されたいのに愛されない状態が続くと、「愛されたい」と願い続けること自体が苦しくなっていきます。
好きな人から選ばれたいと思うほど、選ばれなかった痛みに触れます。
女性として愛されたいと願うほど、「私は女性として魅力がないのかもしれない」「私は選ばれない側なのかもしれない」という感覚にも触れやすくなります。
そこで、自分の心を守るために、愛されたいという願いそのものを意識から遠ざけていきます。
たとえば
- 恋愛なんて別に大したものじゃないと思う
- 男性に選ばれることに価値はないと考える
- 恋愛より仕事の方が大事だと思う
と考えることで、「本当は愛されたいのに愛されていない」という痛みを感じずに済むようにしていきます。
ユング心理学では、このように自分の中に確かに存在しているのに、「私はこういう人間だ」という意識上の自己像から切り離された側面を、シャドウとして捉えます。
このときシャドウに入るのは、「男性に媚びたい自分」や「恋愛に執着する自分」とは限りません。
もっと根にある「私も女性として愛されたかった」「好きな人から選ばれたかった」という願いそのものが、表の自分から見えなくなっていくのです。
シャドウに入ったあと自己価値をどう支える?
では、「女性として愛されたい私」を切り離したあと、私たちはどうなるのでしょうか。
その後の生き方は人によって異なりますが、愛されなかった経験によって傷ついた女性としての自信や自己価値まで、願いと一緒に消えるわけではありません。
そこで、その傷ついた自己価値を別のもので補う人もいれば、低い自己価値を抱えたまま生きる人もいます。
ここでは、その代表的な3つの形を見ていきます。
1. 仕事や勉強で自分の価値を補う
女性として選ばれることでは自信を持てなくても、勉強や仕事なら、努力した分だけ結果や評価を得やすくなります。
そこで、「かわいさでは勝てないけれど勉強なら負けない」「恋愛では選ばれなかったけれど仕事では評価される人になろう」と、能力のある自分を作ることで、傷ついた自己価値を補おうとする人がいます。
努力を続ければ、実際に知識や能力が身につき、周囲から「頭がいい」「仕事ができる」「優秀だ」と評価されるようになります。
すると、女性として愛されなかったことで傷ついた自信を、仕事や能力によって支えられるようになります。
その結果、「女性として愛されること」よりも「仕事ができること」の方が、自分の価値を感じるうえで重要になり、もともと持っていた「女性として愛されたい」という願いは、さらに意識から遠ざかっていきます。
2. 誰かの役に立つことで価値を作る
仕事や勉強のような能力ではなく、誰かに必要とされることで自己価値を支える人もいます。
困っている人を助けたり、頼まれたことに期待以上に応えたり、家族や友人、職場の人を支えたりすることで、「私は必要とされている」「私には価値がある」と感じられるようになります。
さらに、「私はちゃんとしている」「私は人を傷つけない」「私は正しいことをしている」といった正しさを強く持つことで、自分の価値を支える人もいます。
女性として愛されることでは得られなかった自己価値を、「人の役に立つ私」「必要とされる私」「正しい私」という別の自分によって補っていく形です。
3. 補わずに低い自己価値を抱え続ける
別の価値によって自信を補うのではなく、「私は女性として魅力がない」「どうせ私は愛されない」という自己認識を、そのまま抱え続ける人もいます。
恋愛をしたい気持ちはあっても、どうせ選ばれないと思って最初から諦めたり、自分を好きになってくれる相手が現れても、「こんな私を本当に好きなはずがない」と相手の好意を信じられなかったりします。
この場合は、「愛されたい」という願いを意識から遠ざけながら、愛されなかった経験から生まれた低い自己価値だけが残り、その後の恋愛や人間関係にも影響していきます。
「愛されたい私」が戻ってくるとき
では、「女性として愛されたい私」を切り離し、傷ついた自己価値を別のもので支えるようになったあと、切り捨てたはずの「愛されたい」という願いはどこへ行くのでしょうか。
意識から切り離したからといって、もともと持っていた願いそのものが、なかったことになるわけではありません。
ユング心理学では、自分の中にありながら意識から切り離されたものは、無意識の中に残ると考えます。
「女性として愛されたい」「好きな人から選ばれたい」という願いも、なくなったのではなく、自分では普段意識しないシャドウの側へ移っていくのです。
そして人生のどこかで、その切り離した願いが、思いがけない形で再び意識の前に現れます。
ここからは、過去に切り捨てた「愛されたい私」がどのように戻ってくるのか、代表的なプロセスを3つの段階に分けて見ていきます。
1. 他の女性に強く反応する
シャドウに入った「愛されたい私」は、自分自身の気持ちとしては見えにくくなっています。
その代わり、自分が切り離したものを持っているように見える女性に出会うと、強い感情が動きます。
たとえば、
- 男性からかわいがられている女性
- 恋人から大切にされている女性
- 女性として扱われることを自然に受け取っている女性
こうした女性を見ると、理由をうまく説明できないほどイライラしたり、「ああいう女は嫌い」と強く拒絶したくなったりします。
相手に実際に嫌な部分があることと、自分のシャドウが刺激されていることは別の話です。
シャドウを見る手がかりになるのは、「なぜ私はこの人のこの部分に、ここまで強く反応するのだろう」という感情の大きさです。
自分では「愛されたいなんて思っていない」と感じていても、愛されている女性ばかりが気になるなら、そこに自分が切り離した願いが映っている可能性があります。
2. 「また負けた」が刺激される
さらに強くシャドウが表に出るのが、過去の敗北感を再び刺激するような出来事に出会ったときです。
たとえば、
- 好きな男性が別の女性を選ぶ
- 自分より仕事ができるとは思えない女性が男性上司から高く評価される
- 自分が努力して築いたものより、別の女性の愛嬌やかわいらしさの方が評価されたように感じる
こうした出来事に出会うと、現在の悔しさだけではなく、昔の「私は女として負けた」という感覚まで一緒に刺激されます。
特に、仕事や能力によって自己価値を補ってきた人にとっては、ここでもう一つ大きな痛みが加わります。
女性として選ばれなかった痛みを埋めるために積み上げてきた仕事や能力まで、自分を守ってくれなかったように感じるからです。
「これだけ頑張ってきたのに、また負けるの?」という怒りには、現在の嫉妬だけではなく、過去の痛みと、それを補うために費やしてきた時間まで重なっています。
3. 愛されたかった本音に気づく
他の女性への怒りや嫉妬をたどっていくと、その奥から、それまで見えなくなっていた願いが姿を現します。
「あの女が嫌い」という感情の奥に「私だってあんなふうに愛されたかった」があり、「なんであの女が選ばれるの」という屈辱の奥に「本当は私が選ばれたかった」があります。
ここで初めて、長いあいだ「どうでもいい」と思っていたものが、本当はどうでもよくなかったと気づきます。
昔は、「愛されたい」と願いながら、それが叶わない現実を見続けることが苦しすぎて、願いそのものを意識から切り離しました。
けれど、当時とは違う自分になった今なら、「私は愛されたかった」という気持ちを自分のものとして認識したまま、その痛みに触れることができます。
ここから、切り離していた「愛されたい私」を自分の側へ戻していくプロセスが始まります。
「女として負けた」を捉え直す
では、かつて切り離した「女性として愛されたい」「選ばれたい」という願いを、もう一度自分の気持ちとして認識できるようになったあと、どうすればいいのでしょうか。
ここで向き合うのが、そもそもその願いをシャドウへ押し込めるきっかけになった「私は愛されなかった」「私は選ばれなかった」という過去です。
当時の自分にとって、その痛みはあまりにも大きく、まともに受け止めることができなかったのかもしれません。
感情にも一度に抱えられる量があると考えると、わかりやすいでしょう。
子どもの頃や若かった頃の自分には抱えきれなかった悲しみも、時間が経ち、経験を重ねた今の自分なら、当時より少し距離を取って見られるようになっています。
そこで今度は、「私は本当に愛されなかったのか」「本当に女として負けていたのか」「あの出来事から、私は何を感じ、何を信じるようになったのか」を、今の自分の視点からもう一度見直していきます。
ここからは、「女として負けた」と感じた過去を3つの視点から捉え直していきます。
1. 「負けた」は事実だったのか
最初に見直したいのは、当時「私は女として負けた」と感じたことが、本当にそのまま事実だったのかという点です。
たとえば、幼い頃に父親が母親を大切にする姿を見て、「お母さんの方が愛されている」「私は女として負けた」と感じていたとします。
けれど、大人になった今から見れば、父親が妻である母親を愛していたことと、娘である自分の女性としての価値は、そもそも別の話です。
容姿について傷つく言葉を言われた経験も同じです。
誰か一人から「かわいくない」と言われたことは事実でも、そこから「私は女性として魅力がない」と受け取った部分までが、事実だったとは限りません。
当時の自分が何を経験したのかと、その出来事から自分について何を信じるようになったのかを分けてみると、「女として負けた」と思っていた過去の見え方も変わってきます。
2. 当時の悲しさを受け止める
過去を捉え直しても、「選ばれなかった」という事実そのものが変わらない経験もあります。
好きだった男性が別の女性を選んだのであれば、「私は彼に選ばれたかったのに、選ばれなかった」という悲しさは確かに残ります。
そんなときは、「別に負けたわけじゃない」と出来事を塗り替えるのではなく、当時の自分が何を感じていたのかを、今の自分でもう一度受け取っていきます。
「あの人に愛されたかった」
「私を選んでほしかった」
「他の女性を選ばれたのが悔しかった」
当時は抱えきれず、「もう恋愛なんてどうでもいい」と切り離した気持ちも、今なら「私はあのとき、本当に悲しかったんだ」と認識できます。
そうして当時は抱えられなかった悲しさまで自分の感情として受け取れるようになると、切り離していた「愛されたい私」も少しずつ自分の側へ戻ってきます。
3. 過去と今の価値を切り分ける
「あのとき私は選ばれなかった」という過去と、「私は女性として価値がない」という自己評価は、本来同じものではありません。
好きだった男性が別の女性を選んだのであれば、そのとき自分が選ばれなかったことは事実です。
けれど、それはその男性との関係の中で起きた一つの出来事であって、自分という女性の価値そのものを決めるものではありません。
当時はその出来事があまりにも大きく、「私は選ばれなかった」から「私は女性として魅力がない」「私は女として負ける人間なんだ」へと、自分全体の評価にまで広がってしまったのかもしれません。
今あらためて見直すのは、ここです。
「あの人には選ばれなかった。でも、それと今の私の価値は別の話だ」と分けられるようになると、過去の出来事を消さなくても、「私は女性として価値がない」という自己認識まで持ち続けなくてよくなります。
「愛されたい私」を自分に戻す
過去を捉え直したあとに残るのが、「それでも私は愛されたいのか」という願いそのものです。
ここで目指すのは、再び「愛されなければ私は価値がない」という状態へ戻ることでも、「やっぱり愛なんて必要ない」と願いを押し込め直すことでもありません。
切り離していた「愛されたい」という願いを自分のものとして取り戻し、今の自分がその願いとどう生きていくのかを、3つの段階に分けて見ていきます。
1. 願いを否定しない
「私は女性として愛されたい」と気づいたとき、その願いをもう一度恥ずかしいものとして扱えば、再び意識の外へ押し戻すことになります。
男性に愛されたいと思うことも、好きな人から特別な女性として選ばれたいと思うことも、自分の中に実際にある願いなら、「私はそう望んでいる」とそのまま認めていきます。
ここで「自分で自分を愛せば、誰かに愛されたいなんて思わなくなるはず」と、別の答えに置き換える必要もありません。
自分を大切にすることと、誰かから愛されたいと願うことは別のものです。
「私は誰かと愛し合いたい」と望んでいるなら、その願いまで自分一人で満たそうとする必要はありません。
シャドウから戻すというのは、「そんなものを欲しがる私は弱い」と否定することではなく、「私はこれが欲しかった」と、自分の願いとして認められる状態に戻していくことです。
2. 叶っていない願いを抱える
以前の自分が「愛されたい」という願いを切り離したのは、その願いがあるのに叶っていない状態を抱えることが苦しかったからです。
願いを自分のものとして認めたからといって、その瞬間に現実まで変わるわけではありません。
「私は愛されたい」と気づいても、すぐに恋人ができるわけではなく、過去に自分を選ばなかった相手が戻ってくるわけでもありません。
それでも今は、「私は愛されたい。そして今はまだ、その願いは叶っていない」と、願いと現実の両方を見ることができます。
かつては、叶っていない苦しさに耐えるために、願いそのものをなかったことにしました。
そこから、願いを消さなくても「私はこれを望んでいる」と自分の中に置いておけるようになることも、切り離していた自分を取り戻していく過程の一つです。
3. 今の人生で願いを生きる
「私は女性として愛されたい」と認められるようになった先では、今度はその願いをこれからの人生でどう生きるのかを考えられるようになります。
以前は「誰かに選ばれること」が自分の価値を証明するものになっていたとしても、過去を捉え直したあとでは、「私は誰に愛されたいのか」「私はどんな人と、どんな関係を築きたいのか」と、自分の側から考えることもできます。
大好きな人と愛し合いたいのであれば、その願いを持ったまま、そういう関係を望んで生きていけばいい。
一方で、振り返ってみた結果、「もう以前ほど恋愛を求めていない」とわかる人もいるでしょう。
大事なのは、愛されたい願いを叶えることでも、手放すことでもなく、自分が本当は何を望んでいるのかを自分でわかっていることです。
仕事ができる自分も、一人で生きられる自分も、誰かに愛されたい自分も、どれか一つに決めなくていい。
切り離していたものまで含めて、「これも私だった」と自分の中に置けるようになっていきます。
愛されたい願いを持ったまま生きていく
この記事では、女性として愛されたい願いがどのように意識から切り離され、シャドウとして残り、再び自分のもとへ戻ってくるのかを解説してきました。
私たちは人生の中で、そのときの自分には受け止めきれない出来事や、抱えるにはあまりにも大きな悲しみ、悔しさ、寂しさを経験することがあります。
そんなとき、自分の心を守るために、その感情や願いを意識から遠ざけ、見えない場所へ置いて生きていくことがあります。
それは、そのときの自分が生きていくために必要だった心の働きでもあります。
けれど、人生を歩んでいく中で、かつて切り離した自分や、なかったことにした気持ちと、思いがけない形で再び出会うことがあります。
その再会は、怒りや嫉妬、強い嫌悪のような、決して心地よい形で訪れるとは限りません。
それでも、その感情の奥にいる過去の自分をもう一度見つけ、「あのとき私はこう感じていた」「本当はこれが欲しかった」と、自分との関係を結び直していくことができます。
ユング心理学でいう統合とは、こうして意識から切り離していた自分の側面を、もう一度自分の一部として取り戻していくプロセスでもあります。
もし過去の自分が「女性として愛されたい」という願いを切り離していたのなら、もう一度その願いと出会い、「私は愛されたい」と思う自分も含めて生きていく。
かつては抱えきれなかった自分を、今の自分が少しずつ迎えにいく。
そうして切り離してきた自分と出会い直しながら、自分という人間を少しずつ広く生きられるようになっていくことも、人が成熟していく一つの姿なのでしょう。