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職場で媚びる女が許せない…怒りと憎悪の謎を解く

職場で媚びる女が許せない…怒りと憎悪の謎を解く

職場には、仕事に対する考え方も働き方も違う、さまざまな人が集まっています。

その中で、真面目に仕事に取り組み、自分の仕事ぶりやパフォーマンスにもそれなりの自信を持っている人ほど、仕事は大してできないのに上司に媚びているような女性が、妙に目につくことはないでしょうか。

愛想がよく、頼るのもうまく、なぜか上司からかわいがられている。仕事の能力だけを見れば自分の方が上だと思うのに、職場での評価は意外と悪くないどころか、相手の方が評価されていたりする。

「私はちゃんと仕事をしているのに、なんであの女が評価されるの?」

この記事では、そんな「職場で媚びる女が許せない」という強い感情の背景にある心理について解説していきます。

Contents

「仕事できないのに評価される女」への怒りの背景にあるもの

仕事がそこまでできるわけではないのに、上司や同僚に媚びを売り、周囲からの好感を得ることで評価されているように見える女性に対して、不公平感を超えるほど強い嫌悪や怒り、憎悪が湧いてくるのはなぜなのでしょうか。

その人の仕事ぶりと評価が明らかに釣り合っていないと感じるだけなら、「なんだか不公平だな」「この会社の評価制度はおかしい」といった不満で済むはずです。

ところが、「なんであの女が」と考えるだけで、胸の奥からぐつぐつと煮えたぎるような怒りが湧いてくる。周囲の同僚に話しても、「確かに不公平だとは思うけど、そこまで怒る?」と、自分との温度差を感じる。自分でも、なぜここまで許せないのかわからない。

こうした強い感情の背景には、ユング心理学でいうシャドウや、自己価値を守るための補償行為が関係している可能性があります。

目の前で起きているのは、「自分より仕事ができない女性が職場で評価されている」という1つの出来事です。

けれど心の中では、その出来事が、自分の自己価値や、これまで頑張って築いてきた人生そのものを否定されるような痛みと結びついている。

そのため、本来なら1つの嫌な出来事に対して感じるはずだった不公平感が、自分の人生全体に関わるほど大きな痛みへと変換され、相手への強い怒りや憎悪として表れているのです。

憎悪が生まれるまでの心理プロセス

では、これまで仕事に誠実に取り組み、努力を重ねてきた女性が、そこまで仕事ができるようには見えないのに職場での評判や評価がいい女性に対して、なぜこれほど強い怒りや憎悪を抱くようになるのでしょうか。

目の前で起きているのは、「自分より仕事ができなさそうな女性が評価されている」という1つの出来事です。

それでも感情がここまで大きく動く背景には、その人がこれまでどのような人生を送り、どのような経験を通して自己価値を作ってきたのかという心理の流れがあります。

ここからは、目の前の女性への強い憎悪が生まれるまでに、どのような心理プロセスをたどってきたのかを6つの段階に分けて見ていきます。

1. 女として負けている劣等感を抱く

最初にあるのは、本人がはっきり自覚していなくても、心のどこかにある「私は女として劣っている」「女としては負ける」という感覚です。

こうした劣等感は、生まれたときから持っているものではありません。

思春期や学生時代の恋愛、容姿をめぐる比較、男性からの扱われ方、家族や身近な人からかけられた言葉など、これまでの人生経験の中で少しずつ形づくられていきます。

たとえば、こんな経験です。

  • かわいい女性ばかりが男性からちやほやされる
  • 周囲には彼氏ができるのに自分は選ばれない
  • 好きな人に振られる
  • 容姿をからかわれる
  • 「もっと女の子らしく」と言われる
  • 他の女性と比べられる

こうした経験を重ねるうちに、「私は女性として魅力がない」「かわいい女性にはかなわない」「女としての勝負では私は負ける」という感覚が、自分の中に定着していきます。

ここで大きいのは、客観的に見て本当に女性として劣っているかどうかではありません。

本人の中で「私は女として負けている」という自己認識が形成されたかどうかです。

たとえば、一般的に見れば十分に美しい女性であっても、周囲にさらに容姿の整った人ばかりがいる環境で育ち、いつも比較されてきたなら、「私はかわいくない」「私は女として劣っている」という感覚を持ちます。

劣等感は、客観的な順位そのものよりも、「誰と比べてきたか」「どんな扱いを受けてきたか」「その経験を自分がどう受け取ったか」によって作られていきます。

そして、その劣等感の奥には、「女性として魅力的だと思われたい」「選ばれたい」「私だって女として勝ちたい」という願いがあります。

その願いが満たされない経験が重なることで、「女としての自分」は次第に、敗北感や劣等感と強く結びついていくのです。

2. 仕事や勉強で自己価値を補償する

「私は女として負けている」という劣等感を抱くようになると、女性としての魅力とは別の基準で、自分の価値を作ろうとするようになります。

そこで向かいやすいのが、学生時代なら勉強、大人になってからは仕事です。

勉強や仕事の世界では、かわいいか、モテるか、男性から選ばれるかといった「女性としての評価」とは違う物差しで自分を評価してもらえます。

「かわいさでは勝てなくても、頭のよさなら負けない」
「女として選ばれなくても、仕事なら結果を出せる」
「女性として評価されなくても、能力のある人間として認められればいい」

そうやって勉強や仕事に力を注ぎ、努力を重ねていくうちに、本当に成績が上がったり、仕事ができるようになったりしていきます。

知識や経験が増え、周囲からも「仕事ができる人」「優秀な人」として評価されるようになる。

すると、かつて「女としては負けている」と感じていた自分に代わって、「能力のある私」が自己価値を支えるようになります。

「ここなら私は勝てる」
「ここでは私の価値を証明できる」
「女として負けても、仕事のできる私には価値がある」

こうして仕事や勉強は、単に成果を出すためのものだけではなく、女性として傷ついた自己価値を補う役割まで持つようになります。

とくに仕事で成功体験を積み重ねてきた人にとって、仕事は「ここだけは私の価値を否定されない」と感じられる、最後の砦のような領域になっていくのです。

3. 「女として勝ちたい私」がシャドウに入る

仕事や能力によって自分の価値を確立していくと、それまで強く求めていた「女として勝ちたい」という願いは、少しずつ意識から遠ざかっていきます。

ユング心理学では、自分の中にありながら、普段自分が認識している自己像から切り離されていった側面を「シャドウ」と呼びます。

このケースでシャドウに入っていくのは、「私も媚びて得をしたい」という願いではありません。

もっと根にある、「女として勝ちたい」「女性として選ばれたい」「魅力のある女として認められたい」という願いです。

女性としての自分を求め続けるほど、過去に感じた敗北感や劣等感も刺激されます。

そこで次第に、表側にはこんな自己像が作られていきます。

  • 私は女として評価されることなんて気にしない
  • 私は能力で評価されればいい
  • 女を武器にするような生き方には興味がない

こうして、仕事ができる自分、実力で勝負する自分、誰かに媚びずに生きる自分が、表側の「私」になっていきます。

一方で、本当は女性として選ばれたかった自分や、「私だって女として勝ちたかった」という願いは、自分から見えにくい場所へ追いやられていきます。

願いそのものが消えたわけではありません。

その願いを意識しなくても生きられるように、「仕事のできる私」「能力で評価される私」という新しい自己像を強く育ててきたのです。

4. 職場で女としての敗北感を刺激される

そこへ現れるのが、自分より仕事ができるようには見えないのに、愛想よく振る舞ったり、上司にかわいがられたり、人にうまく頼ったりしながら職場で評価されている女性です。

その女性の姿を見たとき、刺激されるのは現在の職場での不公平感だけではありません。

かつて「私は女として勝てない」と感じていた敗北感まで、同時に呼び起こされます。

自分は、かわいがられることや男性から選ばれることでは勝てないと感じてきた。だからこそ、勉強や仕事を頑張り、能力という別の基準で自分の価値を作ってきました。

ところが目の前には、自分がずっと欲しかった「好かれる」「かわいがられる」「女性として得をする」というものを、ごく自然に手にしているように見える女性がいる。

しかも、その女性は今も職場で周囲から好かれています。

すると現在の「あの人ばかりかわいがられている」という出来事と、過去の「私は女として選ばれない」「ああいう女性には勝てない」という痛みが重なります。

目の前の女性を見ているはずなのに、心の中では、これまで何度も感じてきた「女として負けた私」まで一緒に呼び戻されているのです。

5. 補償してきた仕事でも負けたように感じる

さらに強い怒りを生むのが、その女性が職場でも評価されていることです。

自分はこれまで、「女としては勝てない」という劣等感を抱えながら、仕事や勉強に力を注ぎ、「能力なら負けない」「仕事では自分の価値を証明できる」という感覚を築いてきました。

ところが目の前では、自分より仕事ができるようには見えない女性が、愛想よく振る舞い、周囲から好かれ、上司からかわいがられることで評価を得ているように見えます。

すると、「女として負けた」という過去の敗北感に、「仕事でも負けた」という新しい敗北感が重なります。

しかも相手は、自分が長い時間をかけて身につけてきた能力ではなく、自分が一度諦めた「女性として好かれる力」によって、仕事の世界でも評価されているように見える。

その瞬間、揺さぶられるのは職場での評価だけではありません。

「女として勝てないからこそ、私はここまで仕事を頑張ってきたのに」という、これまで自分を支えてきた生き方そのものが揺らぐのです。

6. 二重の屈辱が強い憎悪に変わる

こうして、「女として負けた」という古い屈辱と、「仕事でも負けた」という新しい屈辱が重なります。

これが二重の敗北感です。

相手が仕事のできる女性なら、ここまで腹が立たないかもしれません。

実力のある相手に負けたのであれば、自分が信じてきた「努力や能力によって評価される」という世界そのものは壊れないからです。

ところが、自分が「仕事ができない」と感じている女性が、愛想やかわいさ、人に頼る力によって評価されているように見えると、自分が信じてきた価値基準そのものが脅かされます。

「私は女として負けたから仕事を頑張ったのに、その仕事の世界でも結局、女として勝つ人が勝つのか」

そんな感覚が生まれれば、怒りが強くなるのも不思議ではありません。

そこには、不公平感、悔しさ、敗北感、屈辱、嫉妬、過去の劣等感が一気に重なっています。

そして、それらをすべて刺激してくる存在として「あの女」が見えるようになるため、「ちょっと嫌い」では済まないのです。

相手を見るだけで腹が立ち、評価される姿を見ると強い苦痛を感じ、「あの女だけは許せない」という憎悪にまで感情が膨らんでいくのです。

「女として負けた」過去の痛みとどう付き合う?

ここまで、自分より仕事ができるようには見えない女性が職場で評価されていることに対して、なぜ不公平感を超えるほど強い怒りや憎悪が生まれるのか、その心理プロセスを見てきました。

こうした強い反応にシャドウが関係していると気づいたら、次に向き合うのは、かつて「私は女として負けている」と感じた自分と、その奥にあった「女性として愛されたい」「選ばれたい」「私だって女として勝ちたい」という願いです。

それまで意識の外に置いていた願いに気づくことで、一時的に以前よりつらく感じることもあります。「本当は欲しかった」とわかれば、まだ叶っていない痛みまで見えるようになるからです。

そこから、「やっぱり私は女性として愛されたい」と願いを叶える方向へ進む人もいれば、昔の「女として負けている」という感覚そのものを、今の自分から捉え直す人もいます。

過去に抱えきれず切り離してきた痛みや願いを、今の自分でもう一度受け取り直していく。それが、今回のケースにおけるシャドウの統合につながっていきます。

切り離していた「愛されたい私」をどう自分の中へ戻していくのか、その具体的なプロセスは「女性として愛されたい気持ち」を取り戻すシャドウ統合のプロセスで詳しく解説しています。

激しい感情の奥にある過去の自分に目を向けよう

職場で、明らかに自分より仕事のパフォーマンスが低いように見える女性が、愛嬌や媚びによって自分より評価されていると感じれば、それだけでも不公平感は生まれます。

そこにさらに、「女として負けている」と感じた過去を埋めるように、仕事や勉強を頑張り、自分の価値を築いてきたという背景が重なると、その苦しさは単なる職場への不満では収まりません。

過去の敗北感と、努力して築いてきた自己価値の両方が同時に刺激されるため、「なぜかわからないけれど、あの女だけはどうしても許せない」というほど激しい感情になって表れるのです。

こうした心の動きの多くは無意識で起こるため、自分でもなぜここまで腹が立つのかわからないことがあります。

強い怒りが出てきたとき、その感情を「こんなふうに思ってはいけない」と押し込める人もいれば、怒りのまま相手にぶつけたくなる人もいるでしょう。

そこで一度、「なぜ私は、この人に対してここまで大きく心を動かされるのだろう」と、自分の感情の奥に目を向けてみる。

そこには、今の出来事だけではなく、過去に傷ついた自分や、本当は欲しかったのに諦めたもの、周囲に適応するために遠ざけてきた自分が隠れているかもしれません。

激しい感情は、ときに、長いあいだ見えなくなっていた自分ともう一度つながる入口になります。

そこから過去に置き去りにしてきた願いや自分自身を少しずつ取り戻していくことで、これまでよりも自分の本音に沿った、満足感のある人生へとつながっていくのです。