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妻・母・会社員を降りたら私は誰?ペルソナという仮面をつけた自分

妻・母・会社員を降りたら私は誰?ペルソナという仮面をつけた自分
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「本当の私を誰も知らない」と感じるとき

「本当の私のことなんて、誰もわかってくれない」

そんな感覚を抱いたことがある人もいるのではないでしょうか。

学校では明るい人として振る舞い、職場ではしっかりした人として働き、家庭では妻や母として家族を支えている。

周囲から見れば、それがその人の姿です。

それなのに本人の中では、「みんなが知っている私は、本当の私とは少し違う」という感覚が残っていることがあります。

思春期には「誰も本当の私を知らない」という形で現れていた感覚が、大人になると「ずっと何かを演じている気がする」「人といると自分ではなくなる」といった形に変わることもあります。

では、私たちはなぜ人に見せる自分と、自分の内側にいる自分を使い分けるのでしょうか。

ユング心理学には、この「社会に見せている私」を考えるための「ペルソナ」という概念があります。

ペルソナとは何か

ペルソナとは、社会の中で生きていくために私たちが身につける人格の一側面です。

もともとペルソナという言葉は、古代の演劇で役者が身につけていた仮面に由来します。

ユングはこの言葉を使って、私たちが社会や周囲の人との関係の中で見せている「私」を表しました。

では、このペルソナは私たちの日常の中でどのように現れ、どのような役割を果たしているのでしょうか。

まずは、ペルソナがどのようなものなのか、日常での現れ方とその役割から見ていきます。

1. 社会に見せている私

私たちは、どこにいてもまったく同じ自分でいるわけではありません。

職場では仕事をする人として振る舞い、家では妻や夫、母や父として振る舞い、友人といるときにはまた少し違う自分になります。

肩書のある役割だけがペルソナになるわけではありません。

「いつも明るい人」「頼られる人」「聞き役になる人」「何があっても動じない人」のように、人間関係の中でいつの間にか定着した自分もあります。

周囲から見た「あなたらしさ」の中には、こうして長い時間をかけてつくられてきたペルソナが含まれています。

2. ペルソナは適応に必要なもの

私たちはペルソナを使うことで、その場に合わせた行動を取ることができます。

仕事の打ち合わせで家にいるときと同じように振る舞う必要はありませんし、初対面の人に自分のすべてを見せる必要もありません。

相手や状況に応じて見せる自分を調整することで、私たちは社会の中で人と関係をつくり、それぞれの役割を果たしています。

ペルソナは、自分と社会との間をつなぐ接点のようなものです。

人生の中で環境や立場が変われば、必要になるペルソナも変わっていきます。

学生だった人が会社員になり、誰かと結婚して妻や夫になり、子どもが生まれて母や父になるように、私たちは人生を進みながらいくつもの役割を身につけていきます。

ペルソナはどう作られるのか

では、私たちはいつからペルソナを身につけるのでしょうか。

ペルソナは、ある日突然「この仮面をつけよう」と決めて作るものではありません。

家庭や学校など周囲との関係の中で、「どんな自分でいると受け入れられるのか」「この場所ではどんな自分でいるとうまくいくのか」を学びながら、少しずつ形づくられていきます。

まず周囲との関係の中でペルソナの基本的な形がつくられ、その後、成長して関わる世界が広がるにつれて、新しい役割が加わっていきます。

1. 周囲との関係から形づくられる

子どもは、自分の行動に対する周囲の反応を見ながら、その場で受け入れられやすい振る舞いを少しずつ覚えていきます。

たとえば、

  • 明るくしていると喜ばれる
  • 泣くと周囲が困る
  • しっかりしていると褒められる
  • 言いたいことを我慢すると人間関係がうまくいく

こうした経験を重ねるうちに、「この場所では、こういう自分でいるとうまくいく」という感覚が身についていきます。

家庭の中でいつも空気を読んできた子どもが「人を困らせない私」になったり、きょうだいの中で頼られてきた人が「しっかりした私」になったりすることもあります。

最初は周囲との関係の中で身につけた振る舞いだったものが、繰り返すうちに本人にとっても自然な「私」になっていくのです。

2. 人生とともに役割が増えていく

成長すると、私たちが関わる世界は少しずつ広がっていきます。

家庭に学校や友人関係が加わり、やがて仕事を始めたり、結婚や子育てを経験したりする人もいます。

新しい環境に入るたびに、そこで求められる役割に合わせて、新しいペルソナも形づくられていきます。

会社では「仕事のできる私」、家庭では「家族を支える私」、友人の前では「楽しい私」というように、一人の人が複数のペルソナを持ちながら生きることもあります。

そうして長い時間をかけて役割を生きているうちに、「社会の中で使っている自分」と「自分そのもの」の境目が、本人にもわかりにくくなることがあります。

ここから、ペルソナとの関係が少しずつ複雑になっていきます。

ペルソナが苦しくなるとき

では、社会に適応するためにつくってきたペルソナが、なぜ自分を苦しくさせるようになるのでしょうか。

最初は周囲とうまく関わるために身につけた振る舞いでも、長く続けているうちに「私はこういう人」という自己像へ変わっていきます。

社会の中で見せている自分と、自分そのものとの境目が見えにくくなるほど、役割から外れた自分を生きるのも難しくなります。

ペルソナと自分が強く重なったときに生まれる苦しさを、3つに分けて見ていきましょう。

1. ペルソナと自分が重なりすぎる

1つ目は、ペルソナと自分が重なりすぎて、その役割から外れた自分を認めにくくなる苦しさです。

家族の中でずっと「しっかり者」だった人は、弱音を吐いたり誰かに頼ったりする自分を受け入れにくくなります。

母親として家族を支えてきた人なら、自分がどうしたいかよりも「母親ならどうするべきか」を基準に物事を選ぶようになるかもしれません。

会社で長く責任ある立場を担ってきた人は、仕事ができる自分と、自分自身の価値が強く結びついていきます。

こうして役割として身につけたペルソナが「私そのもの」になっていくと、その役割から外れる選択がしにくくなります。

「私はこういう人」という自己像が、自分を説明するものから、自分の生き方を狭めるものへ変わっていくのです。

2. 本当の気持ちがわからなくなる

2つ目は、役割に合わせる生き方を優先するうちに、自分が本当はどうしたいのか見えにくくなる苦しさです。

「私は何がしたいのだろう」と考えているのに、「家族はどう思うだろう」「周りからどう見えるだろう」「今の私なら何を選ぶべきだろう」という答えばかりが浮かんでくる。

自分自身に問いかけているはずなのに、いつの間にかペルソナの側から答えを探しているのです。

その状態が長く続くほど、役割には収まらなかった感情や欲求は意識から遠ざかっていきます。

すると、「ちゃんと自分の人生を生きているはずなのに、なぜか自分の人生という感じがしない」という違和感が生まれます。

3. 役割を失うと自分まで揺らぐ

3つ目は、自分を支えていた役割を失ったときに、自分自身の輪郭まで揺らいでしまう苦しさです。

ペルソナと自分が強く重なっているほど、その変化は単なる生活の変化ではなく、「私は誰なのか」という問いにつながります。

たとえば、

  • 子どもが成長して母親としての役割が小さくなる
  • 長く勤めた会社を辞める
  • 離婚して誰かの妻や夫ではなくなる

といった変化です。

それまで「私」を形づくっていた役割がなくなると、自分まで一緒に失ったように感じます。

妻でも母でも会社員でもない私には、何が残るのだろう。

そんな問いが生まれたとき、これまでペルソナの中に収まっていた「私」から、その役割だけでは説明できない自分へ目が向き始めます。

ペルソナと個性化の関係

ペルソナは、ユング心理学の中心概念である「個性化」とも深く関わっています。

私たちはまず社会に適応しながら「これが私」という人格をつくり、その自分を使って人生を生きていきます。

その一方で、ペルソナには入りきらなかった感情や性質、可能性も残されています。

そして、人生が進むにつれて、社会に適応するためにつくってきた自分だけでは、今の自分を支えきれなくなる時期が訪れた結果、これまでペルソナの外に置かれていた自分と出会い直す動きが始まります。

ではペルソナと個性化はどのような関係があるのでしょうか。

1. ペルソナだけでは立ち行かなくなる

まず起こるのは、それまで「これが私」と思って生きてきた自分が、少しずつ今の自分に合わなくなっていくことです。

仕事も家庭も大きな問題はないのに、なぜか満たされない。

これまで大切だった目標を達成しても、以前ほど心が動かない。

今までなら迷わなかったことに迷ったり、これまでの生き方を続けることに違和感を覚えたりするようになります。

社会の中で役割を果たすためにつくってきたペルソナだけでは、自分の中に生まれてきた変化を受け止めきれなくなっているのです。

個性化という視点から見ると、このずれは、ペルソナの中には収まらなかった自分が表に出始める入口ともいえます。

2. 役割の外にいた自分が現れる

その先で、これまで役割の外に置いてきた自分が少しずつ意識に上がってきます。

たとえば、

  • 良い母でいるために抑えてきた感情
  • しっかりした人には似合わないと思っていた弱さ
  • 会社員として生きる中では使わなかった才能

などです。

その中には、自分でも認めたくないものもあれば、「私にもこんな部分があったんだ」と驚くようなものもあります。

それまでのペルソナでは自分ではないとしてきたものに出会い直しながら、「私」と呼べる範囲が少しずつ広がっていきます。

こうして、社会に見せている自分だけを「私」とするのではなく、その外側にあった自分も含めて捉え直していく動きが、個性化へとつながっていきます。

ペルソナとの付き合い方が変わる

個性化が進んでいくと、ペルソナとの関係はどのように変わっていくのでしょうか。

変わるのは、ペルソナそのものというよりも、「役割としての自分」をどう捉えるかという感覚です。

それまで「これが私」と強く重なっていた役割を、自分の一部として少し距離を置いて見られるようになっていきます。

その変化は、大きく2つの形で現れます。

1. 役割と自分を分けて考えられる

1つ目は、役割としての自分と、自分そのものを分けて捉えられるようになる変化です。

「私は母親である」ということと、「私は母親だけである」ということは同じではありません。

会社員として働いている自分も、妻として家庭にいる自分も、友人と笑っている自分も、それぞれが自分の一部です。

そう考えられるようになると、いつもの役割から外れた自分も受け入れやすくなります。

母親でも一人になりたい日があり、しっかりした人でも誰かに頼りたいときがあります。

仕事に誇りを持っている人にも、仕事とはまったく関係のない自分があります。

役割と自分の間に少し余白が生まれることで、「この役割でいなければ私ではない」という感覚も少しずつ薄れていきます。

2. 必要な仮面を自分で選べる

2つ目は、ペルソナを自分そのものとして生きるのではなく、その場に応じて使えるようになる変化です。

仕事では仕事に必要な自分を使い、家庭では家族との関係に合った自分を使う。

そのどれも自分ですが、どれか一つだけが「本当の私」というわけではありません。

人生の段階が変われば、これまで使ってきたペルソナが自分に合わなくなったり、新しい環境に合わせて別のペルソナが形づくられたりします。

自分が今どんな仮面をつけているのかに気づいていれば、役割が変わっても「自分まで変わってしまった」と捉えずに済みます。

ペルソナに自分を合わせ続けるのではなく、そのときの人生に合わせてペルソナとの距離を調整できるようになっていくのです。

仮面の下にいる私と出会う

今回の「ユング心理学から人生を読み解く」シリーズ第2回では、社会の中で私たちが身につける「ペルソナ」について見てきました。

私たちは、娘や息子、会社員、妻や夫、母や父など、人生の中でさまざまな役割を身につけながら社会と関わっています。

長く生きてきた役割ほど、それが社会の中で使っている自分なのか、自分そのものなのかを分けて考えるのは難しくなります。

けれど人生が進むと、それまで自分を支えてきたペルソナだけでは立ち行かなくなり、「このままでいいのだろうか」という問いが生まれるフェーズが訪れるのです。

ユング心理学では、こうした揺らぎを個性化という大きな流れの中から見ます。

個性化にすべての人に共通する決まった順番はありませんが、それまで「これが私」だと思ってきたペルソナとの結びつきが揺らぎ、役割には収まりきらなかった自分へ目が向くところから動き始める場合が多いでしょう。

「妻」「母」「会社員」を降りたら、私は誰なのか。

これまで自分だと思ってきた姿の外側にもいる自分と出会い直していくことは、個性化の旅の入口の一つです。

そしてその先には、「こんな自分は私ではない」と遠ざけてきた感情や性質も現れてきます。

次回の第3回では、そうした自分の中の見たくない側面である「シャドウ」から、なぜ嫌いな人ほど気になるのかを読み解いていきます。