人生の後半から「本当の私」が顔を出し始める
これまで特に疑問を持たずに続けてきた仕事が、急につまらなく感じる。
家族のために生きてきたはずなのに、「私はこのままでいいのだろうか」と考えるようになる。
以前なら欲しかったものを手に入れても、思ったほど嬉しくない。
外から見れば生活はそれまでと変わっていないのに、自分の人生が自分のものではないような違和感が続いているけれど、本人にもなぜこんな気持ちになるのかわからず、モヤモヤを抱えて過ごしている人も珍しくないでしょう。
現代では、こうした中年期の揺らぎは「ミッドライフ・クライシス」と関連づけて語られることが多いですが、人生の途中でそれまでの生き方に違和感が生まれること自体は、現代になって初めて現れたものではありません。
ユングも人生を一つの長い発達過程として捉え、とくに中年期を、人生の前半とは異なる心理的課題へ移っていく重要な転換期として考えていました。
人生の折り返し地点を迎える頃、それまで社会の中で生きるために形づくってきた自分だけではなく、自分でもまだよく知らなかった側面が少しずつ顔を出し始めます。
ミッドライフは、人生の前半から後半へ移っていく橋渡しの時期です。
それまでの生き方がしっくりこなくなっているのに、これから自分がどう生きたいのかはまだ見えてこない。その狭間で、「これじゃない」という独特の揺らぎが生まれます。
では、人生の前半と後半では、何が変わるのでしょうか。
人生の前半と後半では目的が変わる
ユング心理学では、人生の前半と後半では、心の深いところで向かおうとする方向そのものが変わっていくと考えます。
人生の前半には、社会の中に自分の居場所をつくり、一人の人間として自立していくための課題があります。
一方、人生の後半になると、それまで築いてきたものをさらに増やしていくことだけではなく、自分の内側へ目を向け、これまで十分に生きてこなかった部分も含めて、自分という存在をより全体的に生きていくことが大きなテーマになっていきます。
つまり、人生の前半と後半では、同じ目的に向かって走り続けるのではなく、心が求めるものが大きく切り替わっていきます。
そしてミッドライフは、ちょうどその切り替わりにあたる時期です。
前半の生き方では以前ほど満たされなくなっているのに、後半をどう生きるのかはまだ見えていない。そのため、この境目では、それまでの価値観や役割と心の向かう方向との間にズレが生まれ、さまざまな違和感や葛藤が起こりやすくなります。
では、人生の前半と後半では、それぞれ何を目指して生きていくと考えられているのでしょうか。
1. 人生の前半|自我(ego)を育て社会に自分の場所をつくる
人生の前半では、まず自我(ego)を育て、社会の中に自分の場所をつくっていくことが大きな課題になります。
自我とは、私たちが普段「私」として意識している心の中心です。
親から心理的に離れ、自分で考え、選び、行動しながら、一人の人間として現実の世界を生きていくためには、この自我を発達させていく必要があります。
その過程で私たちは、
- 仕事を持ち、自分の能力を社会の中で使う
- 人間関係を築き、経済的・心理的に自立していく
- 結婚や家庭など、それぞれの人生で必要な役割を引き受ける
といった形で、自分が何を得意とし、何を望み、どのような立場で生きていくのかを少しずつ形にしていきます。
ユングは、青年期から人生の前半を、人格を形成し、社会の中で自分の位置を確立していく時期として捉えていました。
第2回で見たペルソナも、この時期には重要な役割を果たします。
社会人としての自分、妻や夫としての自分、母や父としての自分など、社会の中で求められるさまざまな役割を身につけながら、私たちは外の世界と関係を結び、一つの人生を築いていきます。
人生の前半では、こうして自我を育て、社会の中で「私はこういう人間として生きていく」という輪郭をつくることが、心の発達にとって重要な仕事になります。
2. 人生の後半|自己(Self)を中心に自分を統合していく
ところが人生の後半に入ると、自我を発達させ、社会の中で自分の位置を築いていくという前半の生き方だけでは、心が満たされにくくなっていきます。
さらに成果を上げること、もっと評価されること、収入や肩書きを得ること。人生の前半では、それらが自分を前へ進ませる大きな力になっていたのに、ある時期から「これを続けた先に何があるのだろう」と感じるようになります。
ここで心の中心となるテーマが、自我(ego)から自己(Self)へと移っていきます。
自己(Self)は、普段「私」だと思っている自我よりも大きな概念です。
意識している自分だけではなく、自分ではまだ気づいていない感情や欲求、可能性など、無意識にあるものまで含めた心全体と、その中心を表します。
そのため人生の後半では、「社会の中で私は何者になるのか」という問いだけでは足りなくなります。代わって、「私はこの人生をどう生きたいのか」「これまで自分だと思ってきたものだけで、本当に自分のすべてなのか」という、より内面的な問いが強くなっていきます。
前半で築いてきた自分を捨てるのではなく、そこでは十分に生きられなかった自分の側面にも目を向け、それらを含めて一人の人間としてまとまっていく。ユング心理学では、このように心の全体性へ向かっていく動きを「個性化」と呼びます。
人生の正午はどんなサインで現れるのか
ユングは人生を一日の太陽の動きにたとえ、中年期にあたる35~40歳頃を、人生の前半から後半へ移っていく「人生の正午」として捉えていました。
ただ、これは40歳になった瞬間に、すべての人が一斉に人生の後半へ入るという意味ではありません。
ユングが生きていた時代と現代とでは平均寿命も、結婚や子育て、仕事などを経験する時期も大きく変わっています。
さらに、人生のどの段階でこの転換を迎えるかは、その人がそれまでどのような人生を生きてきたか、精神的な成熟度や置かれている状況によっても変わります。
そのため、「人生の正午は何歳なのか」を年齢だけで決めることはできません。
むしろ、その切り替わりは、外側の大きな出来事よりも、自分の内側に起きる変化として先に感じられることがあります。
これまで自分を動かしてきたものが効かなくなり、別のものに心が動き始める。そうした変化は、そろそろ人生のテーマが前半から後半へ移り始めていることを知らせるサインとして読むことができます。
ここでは、人生のテーマが切り替わり始めたときに現れやすい4つのサインを見ていきます。
1. 外側の成功より人生の意味が気になり始める
人生の前半では、仕事で成果を出すことや収入を増やすこと、社会の中で認められることなど、外の世界に何かを築いていくことが自分を前へ進ませる力になります。
ところが人生の正午に近づくと、それまで目標にしていたものを手に入れても、以前ほど心が動かなくなっていきます。
単に向上心がなくなったということではなく、「何を手に入れるか」よりも、「それを手に入れて、私は何を生きたいのか」という意味の方が気になり始めます。
外側の成果では答えられない問いが増えてきたとき、心の向きが変わり始めている可能性があります。
2. 役割と自分の間にズレを感じ始める
人生の前半では、仕事上の立場や家庭での役割を引き受けながら、社会の中で生きる自分を形づくっていきます。
第2回で見たペルソナも、そのために必要なものですが、長い間その役割を生きていると、
- 仕事のできる私
- 妻や夫である私
- 母や父である私
といった姿が、そのまま自分自身のように感じられるようになります。
そして人生の正午を迎える頃になると、その役割をこれまで通り果たしていても、どこか自分とずれているような感覚が生まれ始めます。
役割を捨てたいわけではない。けれど、その役割だけでは自分を説明できなくなってくる。
このズレも、社会の中で何者になるかという前半の課題から、「その役割を生きている私は何者なのか」という後半の問いへ移り始めたサインの一つです。
3. 今まで抑えてきた自分が前に出てくる
人生の前半で一つの生き方を築くためには、自分のすべての可能性を同時に生きることはできません。
現実的でいることを選べば、自由に何かを創りたい自分を後ろへ回すこともあります。人を支える役割を長く担えば、誰かに頼りたい自分を抑えることもあります。競争の中で成果を出してきた人なら、競争から降りたい自分には気づかずに進んできたかもしれません。
人生の正午を迎える頃になると、そうして前半では十分に生きられなかった側面が、以前より強く意識に上がってきます。
急に性格が変わったのではなく、これまで人生の表側には出てこなかった自分が、「こちらにも目を向けてほしい」と存在感を増している。
ユング心理学では、こうした動きも人生後半の個性化につながっていきます。
4. 残りの人生を自分の時間として意識し始める
もう一つ大きなサインになるのが、人生に限りがあることを以前より現実的に感じ始めることです。
若い頃には、人生はまだ先まで続いていて、いつかやろうと思えばできるように感じられます。
ところが中年期になると、自分の年齢だけではなく、
- 親の老い
- 子どもの成長
- 身体の変化
- 身近な人の病気や死
などを通して、時間が無限ではないことが少しずつ現実味を持ち始めます。
すると、「あと何を達成できるか」だけではなく、「残っている時間を何に使いたいのか」という問いが生まれます。
時間に限りがあると知ることで、これまで周囲の期待や役割の中で選んできた人生を、今度は自分自身の人生としてどう生きるのかが問題になってくるのです。
こうした内側の変化が重なってくると、人生は少しずつ前半のテーマから後半のテーマへ移っていきます。
「これじゃない」という違和感は、その切り替わりを知らせる最初のサインとして現れることがあります。
「これじゃない」の先で自分の人生を選び直す
ミッドライフに「これじゃない」という感覚が生まれても、それまでの人生が間違っていたということではありません。
人生の前半には、自我(ego)を育て、社会の中に自分の場所をつくり、仕事や人間関係を築いていくという課題がありました。それを生きてきたからこそ、人生の後半になって、それまでとは違う問いが現れ始めます。
ユング心理学でいう個性化は、これまでの自分を捨てて別人になることではなく、前半で築いてきた自分と、後半になって見えてきた感情や価値観、可能性の両方を含めながら、自分という存在をより大きく生きていく過程です。
ですので、人生の後半で必ずしも、仕事や家庭など外側の人生を大きく変える必要があるわけではありません。
同じ場所にいながら、自分にとっての意味が変わることもあります。
変わっていくのは、「何を手に入れるか」を中心にした人生から、「私はこの人生で何を生きたいのか」を問いながら生きる方向です。
ただ、この転換はすぐに答えが見つかるとは限りません。
前の生き方にはもう戻れないのに、これからの自分もまだ見えない。
ミッドライフには、そんな宙ぶらりんな時期が訪れるという前提を持っているだけでも、その時期を穏やかに超えていけるでしょう。
次回は、それまで人生を支えていた意味を失い、新しい方向もまだ見えない時期を、ユング心理学の「夜の航海」から見ていきます。