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なぜあの人はあんなに眩しく見えるのか
私たちには、ときどき、なぜか強く惹かれてしまったり、目が離せなくなったりする人がいます。
その人の仕事ぶりが好きだったり、話し方や生き方に憧れたり、見ているだけで「こんなふうになれたらいいな」と思ったりする。
ただ好きというだけではなく、その人が自分とはまったく違う世界にいるように感じることもあるでしょう。
そんな相手を前にして
「あの人だからできるんだ」
「私にはあんな才能はない」
「生まれ持ったものが違う」
このように相手を眩しく感じるほど、自分との間に大きな距離を置いてしまうことも。
前回の記事では、自分が「私ではない」と遠ざけてきた側面であるシャドウについて見てきましたが、そこで扱ったのは、怒りや嫉妬、弱さや自己主張など、自分では受け入れにくい性質が中心でした。
一方で私たちが自分から切り離すのは、嫌なものばかりではありません。
才能や魅力、自信、創造性、強さなど、本来なら肯定的に見えるものまで「私にはない」として、自分の外側へ追いやっている場合もあるのです。
「自分にはない、ふさわしくない」として切り捨ててきた才能や魅力が、誰かへの強い憧れとなって見えてくる…それがゴールデンシャドウです。
ゴールデンシャドウとは何か
ゴールデンシャドウとは、シャドウの中でも、自分では認識していない肯定的な資質や可能性を指す言葉です。
ユングのシャドウという概念には、もともと否定的な性質だけでなく、意識されていない能力や創造性なども含まれています。
私たちは、自分の中にあるものをすべて「これが私」と認識して生きているわけではありません。
周囲との関係やこれまでの経験を通して、自分らしいと思える側面を選び、それ以外を意識の外へ置いていきます。
その中には、「こんな自分は嫌だ」と遠ざけたものだけでなく、「そんなすごいものが私にあるわけがない」と遠ざけたものもあります。
たとえば、表現する力を持っていても「私は人前に出るタイプではない」と思っている人は、その力を自分のものとして認識しにくくなります。
人を惹きつける魅力があっても、「私なんて普通だから」と長く思ってきた人は、その魅力を自分では見つけにくいかもしれません。
自分の中では見えなくなった肯定的な側面も、なくなったわけではありません。
それが誰かの中に見えたとき、私たちはその人を強く理想化したり、眩しいほど魅力的に感じたりします。
ゴールデンシャドウは、自分の中にある光を、最初は他人の中で見つける形で現れるのです。
ゴールデンシャドウに気づくサイン
ゴールデンシャドウは、シャドウの中でも、自分では認めていない肯定的な資質や可能性を指します。
そのため「私にはないもの」として認識されやすく、自分の中にある資質だとはなかなか気づけません。
むしろ、自分にはないと思っているからこそ、誰かの才能や魅力に強く惹かれたときに、その存在が見えやすくなります。
ここでは、ゴールデンシャドウに気づくきっかけになりやすい3つの反応を見ていきます。
1. 誰かの才能や魅力に強く惹かれる
1つ目のサインは、ある人の特定の才能や魅力に、理由を説明しきれないほど強く惹かれることです。
話すのが上手な人を見ると、ずっと見ていたくなる。
自由に生きている人を見ると、その人の発信を何度も追いかけてしまう。
自分の作品を世に出している人や、自分の考えを堂々と伝えている人を見ると、胸が動く。
興味深いのは、人によって惹かれる部分が違うことです。
同じ人物を見ても、ある人はその人の行動力に惹かれ、別の人は表現力に惹かれ、また別の人は自由な生き方に惹かれます。
相手のどこに強く反応しているのかを見ると、自分がまだ自分のものとして認識していない資質が見えてくることがあります。
2. 相手を自分とは別世界の人のように感じる
2つ目のサインは、憧れている相手と自分の間に、大きな距離を感じることです。
「あの人は特別だから」
「才能がある人は違う」
「私はああいうタイプじゃない」
強く憧れるほど、相手を高い場所へ置いて、自分とは違う種類の人間のように感じることがあります。
ここには、相手を評価する気持ちと同時に、「その性質は私のものではない」という自分への認識があります。
たとえば、堂々と自分の意見を話す人を「すごい人」と感じているとき、自分の中にも言葉にして伝えたいものがあるのに、それを自分の性質として認めていないのかもしれません。
自由に生きる人を特別に感じる背景には、自分の中にも「もっと自分で選んで生きたい」という力が眠っている可能性があります。
相手を遠い存在にしているとき、その距離の中に、自分から遠ざけてきたものが隠れていることがあります。
3. 憧れと一緒に嫉妬や劣等感が動く
3つ目のサインは、憧れているはずなのに、同時に嫉妬や劣等感まで動くことです。
「素敵だな」と思う一方で、その人を見ると自分が小さく感じる。
活躍を応援したいのに、成功している姿を見ると少し苦しくなる。
そんな複雑な反応が起きるのは、相手が持っているものと、自分が「持っていない」と思っているものの差を強く感じるからです。
単に欲しくないものなら、そこまで心は動きません。
本当は自分もやってみたかったことや、自分の中にもあるのに使ってこなかった力を誰かが生きているとき、その姿が強く心に触れることがあります。
憧れだけではなく、悔しさや羨ましさまで動く相手は、自分がまだ認めていない可能性を映しているのかもしれません。
才能や魅力がシャドウになる理由
才能や魅力は、一見すると隠す必要のないものに思えますが、私たちは、育ってきた環境や周囲との関係の中で、肯定的な性質まで自分から遠ざけることも珍しくありません。
どんな光を遠ざけるかは人によって違いますが、その背景にはいくつか共通する流れがあります。
1. 目立たない自分を選んできた
1つ目は、周囲から浮かないように生きる中で、自分の力を小さく見せるようになることです。
目立つとからかわれる環境では、人前に出ない方が安全です。
何かが得意でも「そんなの大したことない」と言われ続ければ、自分でも大したことではないと思うようになります。
家族や友人との関係を保つために、周囲よりできることを見せない方がうまくいく場合もあります。
そうして長い間、自分の力を出さない選択を重ねていると、「出さないようにしている」という感覚さえ薄れていきます。
やがて「私は目立つ人ではない」「私は才能があるタイプではない」という自己像ができ、その枠から外れた力はシャドウ側へ回っていきます。
2. 自分を高く評価しないようにしてきた
2つ目は、自分の長所を自分で認めることに抵抗を持つようになることです。
たとえば、こんなふうに自分の良さを小さく扱う癖がついていきます。
- 自分を褒めるのは恥ずかしい
- 得意なことを得意だと言うのは自慢に見える
- 周囲から評価されても「たまたまだよ」「誰でもできるよ」と小さく受け取る
そうした姿勢が長く続くと、自分の才能や魅力について考えることそのものが難しくなります。
他人の良いところはよく見えるのに、自分の良いところだけは評価できないという状態も生まれます。
すると、本来は自分にもある資質を誰かの中に見つけたとき、「あの人はすごい」とは思えても、「私にもその要素がある」とはなかなか思えません。
自分の光を認めない習慣が、ゴールデンシャドウを見えにくくしていきます。
3. 可能性を認めることを避けてきた
3つ目は、自分の才能や可能性を認めることで、それまでの自己像や生き方まで揺らぎ始めるからです。
アメリカのユング派分析家ロバート・A・ジョンソン(Robert A. Johnson、1921–2018)は、私たちは自分の暗い側面以上に、高貴な側面を自分のものとして認めることに強く抵抗すると述べています。
怒りや嫉妬が自分にもあると気づくのは心地のよいものではありませんが、ゴールデンシャドウの場合は、その先に「では、この力をどう生きるのか」という問いが生まれます。
「私にも人前で伝える力がある」と認めれば、その力を使う自分が見えてきます。
「私にも何かを生み出す力がある」と認めれば、作品や仕事として形にする可能性が生まれます。
「私ももっと自由に生きたい」と認めれば、これまで当たり前だと思っていた生き方そのものが揺らぎます。
自分の光を引き受けることは、「私にはできない」「私はそういう人ではない」としてきた自己像の外へ出ることでもあります。
だからこそゴールデンシャドウは、魅力的に見える一方で、自分のものとして受け取る段階になると強い抵抗が生まれやすいのです。
誰かの中にある光として眺めている間は、自分の人生を変える必要はありません。
その光を「これも私の一部かもしれない」と認めたとき、自分自身がその可能性をどう生きるのかという問いが始まります。
ゴールデンシャドウを取り戻すプロセス
では、才能や魅力の原石ともいえるゴールデンシャドウを、自分のものとして取り戻していくには、どのようなプロセスが必要なのでしょうか。
その手がかりになるのが、誰かへの強い憧れの中で、自分が何に反応しているのかを見ていくことです。
そこから、自分の中に眠っていた可能性を少しずつ見つけ、自分の人生の中で使える形へと戻していきます。
1. 憧れの何に惹かれているのかを知る
最初の段階では、「あの人みたいになりたい」という大きな憧れを、もう少し細かく見ていきます。
その人のどこに惹かれているのか。
自由なところなのか、自信なのか、表現力なのか、人を惹きつける力なのか、行動の速さなのか。
一人の人に強く憧れていると、その人のすべてが輝いて見えやすくなります。
そこから特に心が動く部分を取り出していくと、自分が何に反応しているのかが少しずつ見えてきます。
たとえば「有名だから憧れている」と思っていた人でも、よく見てみると、その人が自分の考えを恐れず表現している姿に強く惹かれていたと気づくかもしれません。
ゴールデンシャドウを取り戻す入口は、相手そのものへの憧れから、自分がその人の何を見ているのかへ視点を移すところにあります。
2. 自分の中にある可能性を見つける
次の段階では、相手の中に見ていた資質と、自分とのつながりを探していきます。
憧れている相手と同じ才能や実績を探すのではなく、その人に感じている魅力と似た方向のものが、自分の人生にも現れていなかったかを振り返ります。
たとえば、こんなところに手がかりが見つかるかもしれません。
- 表現力に惹かれるなら、文章を書いたり誰かに何かを伝えたりする時間が好きだった
- 人を導く力に惹かれるなら、誰かから相談を受けたり自然と人をまとめたりしてきた
- 自由な生き方に惹かれるなら、決められた通りに進むより自分で考えて選ぶ方が好きだった
それまで当たり前すぎて気づかなかったり、大したものではないと思っていたりしたところに、自分なりの資質がすでに現れていることもあります。
「私にはない」と思っていたものと自分との接点を見つけていくと、外側にしか見えなかった光が、自分の人生とも少しずつつながり始めます。
3. 自分の形でその力を使っていく
最後の段階では、見つけた資質を自分の人生の中で使っていきます。
同じ資質でも、どんな形で表れるかは人によって違います。
その人の「人を惹きつける力」に心が動いたなら、自分の場合は文章や会話を通して人を惹きつける力として現れるかもしれません。
「堂々と意見を伝える姿」に惹かれたなら、自分の場合は身近な人との関係で、これまで言えなかった考えを言葉にするところから始まるかもしれません。
相手の中に見えていた魅力を、自分の人生ではどんな形で生かせるのか。
そこまで考えられるようになると、それまで「あの人だけが持っている」と思っていた光を、自分の中でも育てていけるようになります。
誰かを眩しく見上げていたところから、「私にも私なりの形がある」と、自分の可能性へ目を向けられるようになっていくのです。
ゴールデンシャドウと個性化の関係性
ゴールデンシャドウを取り戻していくことは、個性化のプロセスとも深く関わっています。
個性化とは、それまで「これが私」だと思ってきた自己像だけで自分を捉えるのではなく、意識の外にあった側面とも出会いながら、自分という存在をより大きく捉え直していく過程です。
その中では、怒りや弱さ、嫉妬など、自分が認めたくなくて遠ざけてきた側面にも出会いますが、同時に「私にはそんな才能はない」「そんな魅力は自分にはふさわしくない」として遠ざけてきた、肯定的な側面も意識の中へ戻ってきます。
ゴールデンシャドウは、そうして自分から切り離してきた側面の中でも、まだ十分に生きてこなかった才能や魅力、強さや可能性にあたります。
それらを自分の一部として認め、自分なりの形で人生の中に取り入れていくと、「私はこういう人」というこれまでの自己像も少しずつ広がっていきます。
嫌だと思っていた自分も、素晴らしすぎて自分のものとは思えなかった自分も含めて、「これも私だった」と受け取っていく。
ゴールデンシャドウを取り戻すことは、そうして自分の全体性へ近づいていく個性化のプロセスの一部なのです。
誰かの輝きの中に見えていた私を取り戻す
今回の「ユング心理学から人生を読み解く」シリーズ第4回では、自分の中にありながら、自分のものとして認めてこなかった肯定的な側面である「ゴールデンシャドウ」について見てきました。
私たちは、認めたくない性質だけでなく、自分には大きすぎると感じた才能や魅力、強さまで「私にはない」と遠ざけることがあります。
「あの人はすごい。私にはない」と思っていた光を、自分の人生の中にも探してみる。
そして見つけたものを、自分の形で少しずつ使っていく。
そうして誰かに預けていた光を自分へ戻していくとき、憧れの向こうにいたのは、これまでまだ十分に生きてこなかった自分だったのだと気づくのかもしれません。
次回の第5回では、自分の内側にあるものを相手の中に見る「投影」から、なぜ特定の人のことばかり気になってしまうのかを読み解いていきます。