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なぜ嫌いな人ほど気になるのか
嫌いな人なのだから、できるだけ関わらずにいればいい。
そう思っているのに、なぜかその人の言動ばかり気になってしまう。
そんな経験をしたことがある人も、少なくないのではないでしょうか。
職場で顔を見るたびにイライラしたり、家に帰ってからも言われたことを思い出したり、もう関係が終わった相手なのに何年経っても腹が立ったり。
自分とは関係のない人のSNSを見て、「こういう人、本当に嫌い」と何度も反応してしまい、自分でも不思議に思うこともあるかもしれません。
人を嫌う理由はさまざまですし、相手の言動に問題がある場合もありますが、「なぜ私はこの人にここまで反応するのだろう」と思うほど強い嫌悪が続くとき、その反応には相手だけではなく、自分自身の心も関わっています。
ユング心理学には、その強い反応を読み解くための「シャドウ」という概念があります。
シャドウとは何か
シャドウとは、自分の意識的な自己像には合わず、「これは私ではない」として意識から遠ざけてきた感情や性質、欲求などを指します。
私たちは成長する中で、「私はこういう人」という自分なりの自己像をつくっていきます。
前回の記事で見たペルソナも、その自己像と深く関わっています。
「私はしっかりした人」「私は優しい人」「私は人に迷惑をかけない人」といった自分を生きる一方で、そのイメージには入りきらない自分も生まれます。
怒りっぽい自分、誰かに甘えたい自分、嫉妬する自分、自分の都合を優先したい自分など、「こんな私は私らしくない」と感じる側面です。
そうして自分の表側から遠ざけられたものが、シャドウとして心の中に残っていきます。
シャドウが作られるプロセス
ではシャドウはどのように作られていくのでしょうか?
シャドウは、生まれたときから「嫌な自分」として存在しているわけではなく、周囲との関係の中で自分らしさをつくっていく過程で、受け入れられた自分と、そこから外れていった自分が少しずつ分かれていきます。
ここでは、シャドウが形づくられていく流れを3つの段階から見ていきます。
1. 受け入れられる自分を選んでいく
最初の段階では、周囲との関係を通して「出してもいい自分」と「出さない方がいい自分」を学んでいきます。
怒ると叱られる一方で、我慢すると褒められる。
自分の意見を強く言うと「わがまま」と言われる一方で、周囲に合わせると「いい子」と評価される。
そうした経験を重ねるうちに、その環境で受け入れられやすい自分を自然と選ぶようになります。
ここで遠ざけられるのは、怒りや嫉妬のように一般的に否定的に見られやすい感情だけではありません。
目立つことを嫌う家庭では、自信を持つことや自己主張する力が抑えられるかもしれません。
強くあることを求められる環境では、弱さを見せることや誰かに頼ることが難しくなります。
こうして、自分の中にあるさまざまな性質のうち、その環境で生きやすい側が表に残っていきます。
2. 「これが私」という自己像が形づくられる
受け入れられた側の自分を繰り返し生きるうちに、やがて「私はこういう人」という自己像が形づくられていきます。
人に腹を立てても表に出さずにきた人なら、「私は穏やかな人」という自分をつくっていきます。
誰かに頼りたい気持ちを抑えてきた人なら、「私は自立している人」という自分を生きるようになります。
周囲を優先することで人間関係を保ってきた人なら、「私は思いやりのある人」という自己像がその人らしさになっていきます。
前回見てきたペルソナも、こうして形づくられる表側の自分と深く関わっています。
社会の中で求められる役割を引き受けながら、「これが私」と思える人格をつくっていくことで、私たちは周囲に適応していきます。
そして自己像がはっきりするほど、その輪郭に入らない自分は意識しにくくなっていきます。
3. 自己像から外れた自分がシャドウになる
表側の自己像が形づくられる一方で、そこに入らなかった自分が消えるわけではありません。
「私は優しい人」という自己像が強くなるほど、自分の中にある怒りや攻撃性は「私らしくないもの」になっていきます。
「私は自立している」と思うほど、誰かに頼りたい気持ちや甘えたい自分は、自分のものとして認めにくくなります。
「私は人の気持ちを考えられる人」という自分を大切にするほど、自分の都合を優先したい気持ちは遠ざけられていきます。
そうして自己像の輪郭から外れ、「これは私ではない」と意識から遠ざけられた感情や性質、欲求がシャドウとして残っていきます。
つまりシャドウは、自分とは無関係な「もう1人の人格」ではなく、もともと自分の中にありながら、自分として生きることを許されなかった側面でもあるのです。
なぜ嫌いな人の中にシャドウを見るのか
では「嫌いな人」と「シャドウ」には、どのような関係があるのでしょうか?
そもそも「自分ではないもの」として処理されたシャドウは、当然、自分では認識しづらくなっていますから、人との関係を通して姿を現します。
そのため、自分が強く嫌う人や、なぜか必要以上に気になる人は、自分のシャドウに気づく手がかりになることが多いのです。
1. 自分に禁じた性質ほど強く刺激される
まず、自分の中で長く抑えてきた性質ほど、他人がそれを表していると強く刺激されます。
たとえば、自分は周囲に迷惑をかけないように生きてきたのに、何でも人に頼む人を見ると腹が立つ。
自分の気持ちを抑えて周囲に合わせてきた人が、好きなことを好きなようにしている人を見ると「自分勝手な人」と感じる。
目立たないようにしてきた人なら、自信満々に自分をアピールする人が妙に鼻につくかもしれません。
そこには、相手が持っている性質への嫌悪だけではなく、「私はそんなふうに振る舞ってはいけない」と自分に禁じてきたものを、相手が平然と表していることへの反応も重なっています。
自分から遠ざけた性質だからこそ、それを他人の中に見つけたとき、感情が大きく動くのです。
2. 投影によってシャドウを相手の中に見る
では、自分の中にあるはずのシャドウが、なぜ「相手の問題」として見えるのでしょうか。
ここで働くのが「投影」です。
シャドウが、自分の中にありながら「私ではない」と遠ざけてきた内容だとすれば、投影は、その内容を自分の外側にいる人の中に見る心の働きです。
自分の中にある攻撃性を認めていないと、他人の攻撃的な部分が強く目につきます。
自分にも注目されたい気持ちがありながら、それを自分のものとして認めていなければ、自己アピールの強い人ばかりが気になるかもしれません。
自分の内側では見えなくなっていた性質が、相手の中でははっきりと見える。
そのため私たちは、シャドウを直接「これも私の一部だ」と認識するより先に、「あの人のここが嫌い」という形で出会うことがあります。
嫌いな人が気になる背景には、自分から遠ざけた性質が刺激され、それが投影によって相手の中に見えているという心の動きがあるのです。
「嫌い」はすべてシャドウなのか
誰かを嫌いになったからといって、その嫌悪がすべてシャドウから生まれているわけではありません。
約束を何度も破る人に不信感を持ったり、攻撃的な言葉を向けてくる相手から離れたいと思ったりするのは、人としてごく普通のことです。
シャドウという視点が役立つのは、相手についての事実とは別に、自分の反応がなぜここまで大きいのかを考えたいときです。
同じ言動をされても気にならない人がいるのに、自分だけは強く腹が立つ。
関係が終わったあとも、その人のことが長く頭から離れない。
相手が変わっても、いつも似たようなタイプの人に強く反応する。
そんなときには、相手の問題だけを見ていても説明できない、自分自身のテーマが重なっている可能性があり、その際に役立つ概念として「シャドウ」があるということです。
個性化の中でシャドウが果たす役割
シャドウと向き合うことは、ユング心理学の中心にある「個性化」と深く関わっています。
シャドウと出会うとあまり良い感情にはならないことが多いですが、実は個性化を進める上ではとても重要な役割を果たしています。
ここでは代表的な役割を3つ解説します。
1. 意識してこなかった自分を知らせる
シャドウが個性化の中で果たす1つ目の役割は、それまで自分では意識してこなかった側面を知らせることです。
「私は怒らない人」だと思っていたのに、ある人にだけ激しく腹が立つ。
「私は人に頼らない」と思っていたのに、誰かが助けてもらっている姿を見ると妙に苛立つ。
そうした強い反応の中には、自分の自己像から外してきた感情や欲求が現れている場合があります。
自分では「私にはない」と思っていたからこそ、シャドウは人との関係や感情の揺れを通して姿を見せます。
そこから、自分がこれまで認識してこなかった部分にも目を向けられるようになります。
2. 「これが私」という自己像を揺さぶる
2つ目の役割は、それまで当たり前だと思っていた自己像を揺さぶることです。
私たちは長い時間をかけて、「私は優しい人」「私はしっかりしている人」「私は人に迷惑をかけない人」といった自分なりの輪郭をつくっています。
シャドウに気づくと、その輪郭だけでは説明できない自分が見えてきます。
優しい自分の中にも怒りがあり、自立している自分の中にも誰かに頼りたい気持ちがある。
周囲を大切にする自分の中にも、自分の希望を優先したい気持ちがあります。
それまでの自己像が間違っていたわけではありません。
その自己像だけでは、自分のすべてを表せなくなっていくのです。
シャドウとの出会いによって「私はこういう人」という枠が少しずつ広がり、自分の中にある矛盾した側面も含めて見られるようになります。
3. 切り離していた自分を取り戻していく
3つ目の役割は、「私ではない」として切り離してきた側面を、自分の一部として取り戻していくことです。
シャドウと向き合うとは、そこにある性質をそのまま表に出したり、嫌な自分を肯定したりすることではありません。
自分の中にもそうした感情や欲求があると認め、その力をどのように使うかを自分で選べるようになることです。
たとえば、これまで抑えてきた怒りの中には、自分を傷つけるものに「嫌だ」と言う力が含まれています。
「わがまま」として遠ざけてきた気持ちの中には、自分の希望を大切にする力があるかもしれません。
弱さを認めることで、必要なときに誰かへ助けを求められるようになる人もいます。
自分から切り離していた側面を取り戻すほど、「こうでなければ私ではない」という自己像に縛られず、より広い自分を生きられるようになります。
そしてシャドウとして遠ざけてきたものの中には、嫌悪や恥を感じる性質だけではなく、「私にはない」と思っていた才能や魅力、強さが隠れていることもあります。
嫌いな人を通して私に出会う
今回の「ユング心理学から人生を読み解く」シリーズ第3回では、「私ではない」と遠ざけてきたもう1人の自分であるシャドウについて見てきました。
私たちは「私はこういう人」という自己像をつくる一方で、そこには収まらなかった感情や性質を自分から切り離していきます。
そのシャドウは見えなくなったまま消えるのではなく、人との関係の中で強い嫌悪や反応となって現れることがあります。
だからこそ、どうしても気になる人や、何度も思い出してしまうほど嫌いな人との関係には、自分が自分に許してこなかったものを知る手がかりが隠れているかもしれません。
それに気づくことは、相手を好きになることでも、自分が悪かったと結論づけることでもなく、自分の中に置き去りにしてきた部分と出会い直すことです。
「なぜ私はこの人がこんなに嫌いなのだろう」という問いを自分の内側にも向けてみると、その人の向こう側に、これまで見えていなかった自分が見えてくることがあります。
そしてシャドウの中には、嫌ってきた性質だけではなく、「私にはない」と思ってきた魅力や才能まで隠れていることがあります。
次回の第4回では、そんな自分の中に眠る肯定的なシャドウである「ゴールデンシャドウ」から、なぜ人の才能や輝きに強く惹かれるのかを読み解いていきます。