
今を楽しもう!
そう言われることが増えたのは、ここ数年のことかもしれません。
ふとSNSを開けば、「今この瞬間を大切に」とか「今を味わって生きよう」といった言葉が並び、ライフスタイル系のコンテンツや自己啓発の記事でも、「今を楽しむ力」が大切だと語られます。
でも、そう聞けば聞くほど、こう思う方もいるかもしれません。
それって、どうやったらできるの?
“今を楽しむ”って、具体的に何を指すの?
この記事では、なぜ“今を楽しむ”という生き方がこれほどまでに推奨されるようになったのか、そして、そもそも私たちが「今ここ」にいられなくなる背景をひもときながら、静かに“今”を味わうためのヒントを探っていきます。
Contents
なぜ、今「今を楽しむ」がこんなにも推奨されているのか?
かつては、「未来のために今を我慢する」ことが当たり前の価値観でした。
頑張れば報われる、努力は必ず成果に変わる──
そんな信念が多くの人の背中を押していた時代には、「今」よりも「将来の安定」の方が大切にされていたのです。
でも、ここ数年で、その空気は大きく変わりました。
“今を楽しむ”という言葉が支持される背景には、時代の構造そのものが関係しています。
① 未来が見えにくい「VUCA時代」の到来
VUCAとは、Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉です。
簡単に言えば、「何が起きるか分からない」「前例が通用しない」ような、不安定で複雑な時代を表しています。
社会情勢、経済、働き方、人間関係──
あらゆるものが目まぐるしく変化し、「こうすれば安心」という型が効きづらくなっているのが、いまの現実です。
そんな時代において、「将来のために今を我慢する」という生き方は、むしろリスクをともなうようになりました。
“あとで幸せになるために今を犠牲にする”のではなく、“今この瞬間にどんな質の時間を過ごすか”が問われるようになってきたのです。
② マインドフルネスなど「今に戻る技術」が主流に
心理学や脳科学、医療や教育の分野でも、「今ここに意識を向ける」ことの大切さが広く認知されるようになってきました。
過去に囚われると、後悔や自己否定から気分が落ち込みやすくなり、未来ばかり見ていると、まだ起きていない出来事への不安に心が飲み込まれてしまう。
そんな心のメカニズムに対して、注目されているのが「マインドフルネス」や「グラウンディング」といった、“いま・ここ”に戻る技術です。
呼吸や感覚、五感を意識することで、思考を一度立ち止まらせ、今この瞬間の「私」に戻る練習ができる。
“今を楽しむ”という行動は、感覚的な遊びだけでなく、心のケアやメンタルの安定にもつながる実践的なセルフケアとされるようになってきたのです。
③ 幸せの定義が「成功」から「充足」へシフト
かつての“幸せ”は、目に見える成果や他者評価、いわゆる“外側”にあると考えられていました。
いい学校に入り、安定した職に就き、家庭を築き、モノを手に入れること──そのような「達成の階段」を登ることで、人生の価値が上がると信じられていたのです。
けれど今は、その価値観にも揺らぎが生まれています。
どれだけ手に入れても、どれだけ認められても、心が満たされていないと感じる人が増えた現代において、“今この瞬間に何を感じているか”という、内側の感受性がますます重視されるようになりました。
「どんな体験をしたか」ではなく、「その体験をどう味わったか」こそが、人生の質を決める。
こうした価値観の転換が進むなかで、「今を楽しむ」という生き方は、もはや娯楽ではなく、人生を内側から生きるための選択肢として、より多くの人に支持されるようになっているのです。
今を楽しむことは、意外とむずかしい
とはいえ、「今を楽しむ」ことは、思っている以上にむずかしいものです。
たとえば、友達と遊んでいても、旅行に出かけていても、
ちゃんと楽しめてる気がしない
今この瞬間に心がいない気がする
そんな感覚を抱く人は、決して少なくありません。
もしかするとその理由は、「楽しさ」を外側のイベントや予定に求めてしまっていること。
そして何より、意識そのものが“今ここ”にいないまま体験を重ねていることにあるのかもしれません。
たとえ素敵な場所にいても、目の前の出来事がどれだけ充実していても、心が未来の不安や過去の後悔、あるいはSNSの向こう側に飛んでいれば、その体験の“味”は、どうしても薄まってしまうのです。
そしてもうひとつ、大きな要因があります。
それは、「今を楽しむとはどういうことか?」を、本当の意味で教えてくれる人が、身近にいないということです。
ヨガや瞑想の先生、ライフスタイルのインフルエンサー──一見“今を楽しんでいるように見える人”はいても、
“今を味わう感覚”や“意識の在り方”を具体的に言語化して、そばで寄り添ってくれるような人は、そう多くありません。
「今を楽しもう」という言葉だけが独り歩きしていて、その実態や感覚を深く理解したり、実践できる人がほとんどいない。
だからこそ、「楽しめない私」にうっすらと罪悪感がのしかかってしまうのです。
けれど本当は、うまくできなくて当然なのかもしれません。
誰からもきちんと習ったことがないまま、「楽しめるのが当たり前」とされているだけなのですから。
意識が「今ここ」から離れがちな3つの行き先
「今この瞬間にいよう」と意識しても、私たちの心はふとした瞬間に“どこか”へと旅立ってしまいます。
その行き先は人によって違うようで、実はある程度パターンが決まっています。
ここでは、意識が“今ここ”から離れやすい、代表的な3つの方向を見ていきましょう。
① 未来──まだ来ていない不安への旅
これからどうなるんだろう
もし失敗したらどうしよう
ちゃんとやらなきゃ、ちゃんとしてなきゃ
そんなふうに、まだ来ていない“未来”のシナリオを何度も頭の中でシミュレーションしてしまうことはありませんか?
未来を想像することは、決して悪いことではありません。
計画を立てたり、準備をしたりすることは、生きるうえで大切な力でもあります。
でもそのバランスが崩れて、「不安を先取りし続ける状態」が長く続いてしまうと、いつのまにか“いま目の前にあるもの”が、まるで透明になったかのように見えなくなってしまうのです。
- 気がついたら、ごはんの味も覚えていない。
- 会話をしていたはずなのに、話の内容が入ってこない。
- 体は“今”にいても、心はずっと“これから”の心配の中にいる。
そんなふうに、未来への意識は、私たちの「今」をじわじわと浸食していきます。
② 過去──何度も再生される後悔と反省
あのとき、あんなこと言わなければ…
なんでもっと早く気づけなかったんだろう
やっぱり私ってダメなんだな
過去の出来事を思い返すとき、私たちはその“当時の自分”と“今の自分”を無意識に比べてしまいます。
「もっとできたはず」「あれがなければ」──そうやって、起きてしまったことを心の中で繰り返し再生している間、“今ここ”には意識がいなくなっています。
それは、古い映画のフィルムをずっと流し続けているような状態。
しかもそのフィルムは、見るたびに少しずつ脚色されていて、より強い後悔や自己否定を生んでしまうこともあります。
もちろん、過去を振り返ること自体は悪ではありません。
でも、“気づき”や“学び”ではなく、“自己攻撃”のループになってしまっているなら、それは今を生きる力を、確実に削ってしまうものです。
③ 他人の世界──SNS・比較・評価の海
誰かのストーリーをつい見てしまう
今どこで何をしているかが気になる
みんな楽しそう。なのに、私は…
SNSのタイムラインを眺めていると、つい他人の生活や感情に、自分の意識が吸い込まれてしまうことがあります。
もちろん、SNS自体が悪いわけではありません。
好きな人の発信に元気をもらったり、世界を広げてくれることもあります。
でも、自分が今この瞬間を味わえていないときほど、他人の“楽しそうな今”がまぶしく感じられて、比べるつもりはなくても、心は無意識に傷ついてしまうものです。
こんな時間にひとりでいる私は、間違っているんじゃないか
誰かと笑い合っているあの人のほうが、ちゃんと生きている気がする
そんなふうに、“誰かの人生”を眺めながら、“今ここにいる自分”を少しずつ手放していってしまう──それが、他人の世界に心を預けすぎる危うさです。
心がどこかに出かけてしまうのは、人間としてとても自然なことです。
でもその旅が長引きすぎると、だんだん“自分が自分じゃなくなる”感覚がやってくる。
そんな時は「あれ、私の意識、今どこにいるかな?」とそっと問いかけてあげる時間が、何より大切なのかもしれません。
今ここにいるとは、どういうことか?
「今を楽しむ」ということは、単に楽しいことをすればいい、という意味ではありません。
それは言いかえれば、“自分という存在と、ちゃんと一緒にいる”ということ。
その感覚を、一番自然に体現しているのが、赤ちゃんや小さな子どもたちかもしれません。
たとえば、幼稚園の年少さんくらいの子どもを思い浮かべてみてください。
彼らは、明日の心配をしません。昨日の失敗を繰り返し悩むこともありません。誰かのSNSをチェックして、他人の人生と自分を比べたりもしません。
彼らの意識は、まさに“今ここ”の世界にあります。
目の前のシャボン玉に夢中になり、土のにおいや光の反射に笑い、転んだら泣いて、すぐに立ち上がって、また次の瞬間へ。
その生き方には、演出もコントロールもありません。
ただ、起きていることを、あるがままに感じて、反応して、流れていく。
大人になるにつれて、私たちは思考や記憶、社会的な目線に触れながら、少しずつ「今」を手放していきます。
けれど、「今ここにいる」という感覚は、本来、誰の中にもあったはずのもの。
だからこそ、今ここを味わう練習をするとき、“ちいさな師匠たち”の在り方を、そっと思い出してみるのも、ひとつの方法かもしれません。
なぜ、“今ここ”にいることはむずかしいのか?
「今を楽しもう」と思っても、それがどうもうまくできない。
そんなとき、私たちは「努力が足りないのかな」「集中力がないのかな」と、自分を責めてしまいがちです。
でも、ほんとうの理由は“意識の問題”だけではありません。
もっと根深く、私たちの心の奥にひそむ、「今ここにいたくない理由」があるのです。
① 自分のことが実はあまり好きではないから
「今ここにいる」とは、言いかえれば、“自分という存在と一緒にいる”ということ。
でももし、その“自分”のことを、心のどこかで嫌っていたらどうでしょう?
責めてばかりいたり、価値がないと感じていたり、一緒にいるのが気まずい、居心地が悪いと感じている相手と、四六時中同じ部屋にいなきゃいけないようなものです。
当然、心はそこから逃げたくなります。
未来の不安へ、過去の後悔へ、SNSの向こう側へ──
“今ここ”にいられないのは、「ここにいる“自分”と一緒にいたくないから」
そんなやさしくて切実な理由が、静かに横たわっているのかもしれません。
② 自分との信頼関係が育っていないから
マインドフルネスがいいよ
呼吸に意識を向けてみて
そんなふうに、“今ここ”に意識を戻すための方法はいろいろ紹介されています。
でも、どれだけ練習しても、そこにいる“自分”のことを信頼できていなかったら、そもそも“戻りたくない場所”になってしまう。
今ここに戻る力は、意識の訓練だけで育つものではなく、「ここにいる私って、大丈夫だ」っていう信頼感があってこそ、根を張っていくのです。
呼吸に集中しようとしても、「私なんか」と思っていたら、息の居場所すら見つからない。
そんなときは、「集中力がない」のではなく、「ここにいる私が、まだ安心じゃないだけ」なのかもしれません。
③ 「今ここ」以外の場所で過ごすことに慣れているから
- 未来のことを考える
- 過去のことを振り返る
- SNSで他人の暮らしに意識を飛ばす
これは、今の時代に生きている私たちが、無意識のうちに“習慣化”している意識の使い方です。
つまり、“今ここにいること”のほうが、むしろ不慣れになっているのです。
情報があふれていて、常に比較の中にさらされていて、「今の私」を感じるよりも、「他の誰か」や「これからの私」に意識を飛ばしていたほうが、気が紛れるし、安心できる。
だけど、それはあくまで“慣れ”の話。
本当は、「今ここにいること」は、だれもがかつて持っていた感覚。
思い出すだけでいい。
少しずつ練習するだけでいい。
だから、「今を楽しむのがうまくできない」と感じても、焦らなくていい。
あなたの“意識の癖”が、少しずつ“いま・ここ”に戻る道を、取り戻していけばいいのです。
まとめ|「今を楽しむ」とは、“意識の居場所”を選びなおすこと
どんなに素敵な予定を入れても、どんなに環境を整えても、“今ここ”に意識がいなければ、それはただ通り過ぎていく出来事になってしまいます。
逆にいえば、特別なことをしなくても、ほんの少し呼吸に意識を向けたり、手のぬくもりや空気の匂いを感じたりするだけで、
世界は、ほんのすこし、色を取り戻してくれることがあります。
そしてもし、「どうしても楽しめないな」と感じたときには、
私は、いまここにいる“自分”と、仲良くできているだろうか?
そんな問いかけを、そっと心の内側に置いてみてください。
無理に答えを出さなくても大丈夫です。
その問いを持ち続けること自体が、“今を楽しむ”という感覚の、いちばん深い入口なのかもしれません。