
人生に絶望したこと、ありますか?
そんなふうに誰かに聞かれたら
あるある、失恋したとき絶望した〜!
なんて、ちょっと笑い話のように返す人もいるかもしれません。
でも、ほんとうに人生のどん底にいるときって、「今、絶望しています」なんて言葉にすることすら、できなかったりします。
目の前の景色がぼやけて、心も体も動かなくなるような感覚。時間が止まってしまったような静けさの中で、「もう、どうしたらいいのかわからない」と途方に暮れるような瞬間。
私自身、これまで女性の恋愛やパートナーシップの相談を中心に、さまざまなお悩みを伺ってきましたが、ときに、人生の深い局面に立たされた方と向き合うこともあります。
そんなときに感じるのは、絶望というのはただの苦しみではなく、その奥に“生まれ変わりの前触れ”のようなタイミングがひそんでいる、ということ。
大きな絶望のあとに、人は本当に変わることがあります。
まるで別人のように、新しい人生を歩き始める方もいるんです。
このコラムでは、そんな「絶望」の中で起こる内面的なプロセスについて、わかりやすく紹介していきます。
まずは、絶望に陥りやすいシチュエーションをいくつか見ていきましょう。
Contents
人生に絶望することが多いシチュエーション
人生に絶望を感じる瞬間は人それぞれですが、共通しているのは、「もう自分ではどうにもできない」と感じるほどの強い痛みや孤独です。
たとえば、出会いがない、恋人に拒絶された、仕事がうまくいかない、経済的に行き詰まる、大きな病気にかかる──。
こうした状況に置かれたとき、心は静かに沈み込み、世界とのつながりが遠く感じられてしまうことがあります。ここでは、そんな「絶望」に陥りやすい代表的なシチュエーションをご紹介します。
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①出会いに恵まれない
将来を一緒に歩めるような人との出会いを願っていても、なかなか巡り合えない。
出会いの数はあっても、「この人だ」と感じられる相手には出会えない。
トランプを何枚めくっても欲しいカードが出てこないような感覚に陥り、
もしかして私、このままずっと独りなのかな。
一生誰にも愛されずに生きていくのかな。
と、深い孤独に押しつぶされそうになる。
とくに、結婚を意識しはじめた時期の女性には、この感覚に苦しむ人がとても多くいます。
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②恋人・好きな人からの拒絶
あんなに愛していた相手に突然拒絶される。
もう二度と連絡は来ない、もう一度気持ちを伝える場もない。
相手の心は遠く離れていき、もう自分の愛情が届かない場所に行ってしまった──。
そんなとき、人は「自分の一番大切なものを受け取ってもらえなかった」痛みと、「これから先も誰とも愛を交わせないんじゃないか」という不安に包まれて、深い絶望を感じてしまうことがあります。
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③やりたい仕事がない
毎日働いてはいるけれど、「この仕事、私じゃなくてもいいんじゃないか」と感じる。
頑張っているのに、仕事を通して自分の存在意義を感じられない。
まわりには才能を活かして働いている人がたくさんいるのに、自分には「これだ」と思える役割が見つからない。
そんなとき、ただ生活のために働いている毎日が、まるで時間の流れに押し流されていくように感じられ、気づけば「私、なんのために生きてるんだろう」と、心が沈んでいくのです。
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④経済的に苦しい
借金、収入の減少、扶養の重圧。
お金に関する不安は、生活の土台だけでなく、人間関係や自己肯定感にも静かに影を落とします。
もちろん「お金がすべてじゃない」と頭ではわかっていても、現実的に生きていくためには欠かせないもの。
もし、今の経済状況がこのままずっと続くのだとしたら……と想像したとき、人は深い不安と無力感に包まれていきます。
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⑤重大な病気にかかった
「時間はかかっても、ちゃんと治る」と信じられるような病なら、気持ちもどこかで支えられるかもしれません。でも、そうではない場合──たとえば難病や慢性疾患など、完治が難しいと告げられたとき。
それまでの「元気だった自分」に戻れない現実に直面したとき、人は言葉にならない絶望を感じます。
これからは、まったく違う身体で、違う日常を生きていかなくちゃいけない。
その現実を受け入れるプロセスの中で、アイデンティティが大きく揺らぎ、人生の意味そのものを問い直すような時間に突入していくのです。
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絶望の正体は、「定義していた希望」が壊れた痛み
ここまで、人生で絶望を感じやすい5つのシチュエーションを紹介してきました。
読んでみて、何か思い当たることはありましたか?
出会いや恋愛、仕事やお金、健康の問題……。
こうして挙げてみると、「ああ、たしかにこういうとき、心が深く沈んだな」と感じた経験がある方も多いかもしれません。
では、そもそも「絶望」とは何なのでしょう?
言葉としての“絶望”は、「望みが絶たれる」と書きますが、少し抽象的ですよね。
私個人的に“絶望”の正体は「今までの延長線で考えていた未来に対する望みや希望」が、絶たれてしまった時に出会う“混乱が含まれた感情”なのではと考えています。
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人生に絶望したとき、心の奥で起こっていること
ここまで、人生に絶望しやすい5つのシチュエーションをご紹介してきました。
もしかすると、どれかひとつでも「これはまさに自分のことかも」と感じた方もいるかもしれません。
けれど、私たちが「絶望している」と気づくとき、その感情はただの“出来事”から生まれているのではなく、もっと深いところで静かに起きている心の変化があるのです。
では、人生に絶望したとき、私たちの心の奥では何が起きているのでしょうか?
ここでは、その内側のプロセスを丁寧に見ていきます。
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①これまでの価値観が壊れる
「結婚すれば幸せになれる」「この仕事に就けば安心できる」
そんなふうに、私たちはいつの間にか“こうあれば幸せ”という未来を自分の中で定義しています。
そしてその“希望”を叶えるために頑張ってきたのに、それが手に入らないとき、人は絶望します。
だけど本当は「それを手に入れても、きっと幸せじゃなかったのかもしれない」と気づいてしまったときにも、深い絶望はやってくるのです。
つまり、「今まで信じてきた“これが幸せ”という前提」そのものが、静かに壊れていく。
それはまるで、手に入らないことが悲しいのではなく、「じゃあ私は何を信じたらいいの?」と、幸せの基準そのものがわからなくなる感覚。
人生で使ってきた地図が突然機能しなくなってしまったような、そんな心の揺れが起きるのです。
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②未来への期待が崩れる
「この先きっとこうなる」——そう思っていた未来が、突然閉ざされてしまう。
進むはずだった道が消え、未来という時間軸にあった“希望の光”が急に見えなくなると、私たちはそれだけで深い絶望に包まれてしまいます。
人間には、“光のある方向”へ自然と向かっていく性質があります。
でも、絶望の中では、その光がふっと消えてしまう。
“未来”という方向そのものが見失われてしまうんです。
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③過去からの自信が崩れる
「ここまで頑張ってきた」「積み重ねてきた経験がある」
そんなふうに、これまでの“過去”をよりどころにして、自分を支えてきた人も多いはずです。
でも、人生に深く絶望しているとき、ふと気づくのです。
あれ? 今までの努力って、本当に意味があったのかな…
過去が自分を支えてくれなくなったとき、人は足元からぐらりと揺さぶられるような感覚に包まれるのです。
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④アイデンティティが剥がれる
絶望のきっかけとなる出来事の中には、それまで自分を支えていた「アイデンティティ」が使えなくなってしまうような衝撃もあります。
たとえば、「◯◯社の社員」「誰かの妻」「子どもの母」
これまで“私ってこういう人”だと信じていた役割や肩書きが、突然機能しなくなることがあるのです。
でもその状態に慣れていないと、「私は誰?」と、足元がぐらぐらしてしまう。
けれどその場所こそが、本当の自分に還るための出発点なのかもしれません。
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⑤今ここの感覚だけが残る
未来への希望も、過去からの自信も、そしてアイデンティティも、すべてが手放されたあと。
最後に残るのは、「いま、ここにいる」という感覚です。
思考も止まり、計画も立てられない。
感情すら凍りついたような静けさの中で、かろうじて感じるのは、体の感覚——
胸の苦しさ、手の冷たさ、呼吸のリズム。
そして、「それでもまだ、私はここにいる」ということ。
存在そのものとしての感覚だけが、かすかに灯っているような状態です。
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人生に絶望したとき、ようやく“わたし”に会える
人生に絶望しているときって、感覚的にいえば、世界が真っ黒になってしまったような状態かもしれません。
身体的には生きているけれど、心はほとんど眠ったように静かになっている。
でも、実はその「真っ黒な世界」の中でしか、出会えない存在がいるんです。
それが、「ほんとうの私」です。
誰かに認められたい、よく思われたい、愛されたい。
そんな“演じてきた私”がすべて剥がれたあとに残るのは、ただここにいる、何者でもない“私”という存在。
私が主宰している脳トレカレッジというスクールでは、
「誰かと一緒に生きる未来のために、まずは“わたし”と出会い直す」
そんなテーマを大切にしています。
人生の中で、いつの間にか自分と離れてしまった感覚を、静かな絶望の中で、もう一度取り戻すことができる。
それこそが、深い意味での“再会”なんだと思います。
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絶望から始まる変化とは?
では絶望から始まる変化とはどんなものがあるのでしょうか?
絶望の中で心が一度リセットされて、その後、次のような変化が起こってきます。
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①新しい価値観の構築
「こうすれば幸せになれる」「これを手に入れれば安心できる」
そう信じてきた“人生の地図”が使えなくなったとき、人は一度立ち止まらざるを得ません。
絶望を経験したからこそ、「じゃあ、私は本当は何を望んでいたんだろう?」と、自分自身の心に耳を傾けはじめる。
古い地図が破れたあとに、新しい地図を描き直すように。
過去の常識ではない、“今の私が感じる幸せ”に基づいた価値観を、自分の手で再構築していけるようになるのです。
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②未来への信頼
希望が壊れ、確かな見通しが持てないとき、心のどこかで「それでも、きっと大丈夫」と思える感覚が芽生えてくることがあります。
それは“信じる理由があるから信じる”のではなく、“理由がないけど信じてみる”という在り方へのシフト。
不安や怖さの中でも、小さな光を見つけて一歩を踏み出していける力が「未来への信頼」として、絶望の中でも育っていくのです。
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③過去への感謝
絶望の渦中にいるときは、過去の出来事すら痛みを伴うものに見えるかもしれません。
でも、その痛みをくぐり抜けたあとに見えてくるのは、「あの出来事があったから、今の私がいるんだ」という実感です。
怒りや悲しみでしかなかった経験が、時間とともに少しずつ“意味”を持ち始める。
すべてが繋がっていたと気づけたとき、ようやく過去に対して「ありがとう」と言えるようになる人もいます。
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④何者でもない自分との再会
これまで「◯◯な私」「□□である自分」として生きてきた私たちは、絶望を通して、そのアイデンティティが一枚ずつ剥がれていく体験をします。
社会的な肩書きも、家族の中での役割も、誰かにとっての“意味ある存在”も、全部いったん外れてしまったとき、最後に残るのは「ただここにいる自分」。
それは、とても頼りなく感じるかもしれないけれど、そこにしかない静かな安堵感がある。
ようやく“誰かのための私”ではなく、“自分のための私”と出会える時間なのです。
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⑤承認欲求の消失
「誰かに評価されたい」「理解されたい」「愛されたい」
そう思って生きてきた私たちは、絶望の中でその願いすらも手放してしまうことがあります。
もう認められなくてもいい。理解されなくてもいい。
ただ、今ここに“私として存在している”という感覚だけで、十分だと思える瞬間がある。
それは諦めではなく、自分で自分を抱きしめるような、静かで深い受容の時間です。
他者からの承認に依存しなくても、自分自身の存在に価値を感じられるようになったとき、人は本当に自由になれるのかもしれません。
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心の脱皮=絶望を怖がらないで大丈夫
絶望の瞬間には、すべてが終わったように感じられるかもしれません。けれど実際には、“終わる”ことでしか“始まらない”こともあるのです。
このタイミングは、あなたが「本当の自分」と再会するプロセスの一部でもあります。
古い価値観や期待が剥がれ落ちていくとき、その奥に眠っていた本来の自分が少しずつ姿を現しはじめる。
10年近く多くの相談に乗ってきた中で見てきたのは、そうしたタイミングでこそ起きる“静かな転機”でした。
絶望の中には、次の一歩につながる種が必ず眠っていますから、怖がらなくても大丈夫です。
絶望の中にいる今こそ、新しいあなたが静かに芽吹いている最中ですから。