
もっと自分を出していいんだよ!
そう言われたとき、どんな気持ちになりましたか?
言ってくれた相手に悪気はなかったかもしれない。
でも、どうしたら“出せる”のかがわからないとき、 その言葉は、ちょっとだけ苦しく感じてしまうこともあります。
本当は、「出したくない」のではなくて、 「出したいと思える自分」が、まだよくわからないだけなのかもしれません。
Contents
「自分を出して」と言われて困った過去
本題に入る前に、少しだけ私自身の話をさせてください。
私は今でこそ、こうして“心”のことや、“自分自身と向き合うこと”について、誰かのサポートをさせてもらうようなお仕事をしていますが── もともとは、自分のメンタルがぐっちゃぐちゃで。 どこから整理すればいいのかもわからないまま、ずっと心の中でもがいていた側の人間でした。
そんな過去の中で、何度も言われた言葉があります。
もっと自分を出していいんだよ
あるいは、
なんで自分を出してくれないの?
という言い方で。
職場の上司からも、恋人からも── ときにはやさしく、ときには責めるように。 いろんなニュアンスで「もっと出して」と言われたことが、何度もあります。
でもね、そのときの私は、すごく困ったんです。
たとえば「もっと出していいよ」っていう言葉は、普通なら安心できる言葉のはずじゃないですか。 なのに私は、それを聞いて戸惑ってしまった。
それは、出したくないわけじゃなかったから。
どうなったら“出したこと”になるのかが、全然わからなかったから。
出したつもりだったのに、伝わらなかったこともあるし、 何をどこまで出せば、相手は「自分を出してくれた」と感じるんだろう? そのゴールが見えなくて、すごくモヤモヤしたのを覚えています。
だから、もしあなたが今
自分を出すって、どういうことなんだろう?
そう感じているなら── それは、きっととても自然なことなんだと思います。
このコラムでは、そんな“過去の私みたいな人”に向けて、 「自分を出す」って、どういうことなのか? そして、なぜそれが難しいと感じてしまうのか? 一緒にゆっくり、考えていけたらと思います。
自分を出せないとは?その奥にある感覚
自分を出すって、どういうことなんだろう?
これは、先ほどお話しした私自身もずっと抱えていたテーマですし、 実際に日々いただくご相談の中でも、とても多くの方が口にされる感覚でもあります。
「なぜ出せないのか?」という理由を探す前に、 そもそも“出せない”って、どういう体感なんだろう?
そんな視点から、いくつかの例を紹介してみますね。
もしあなたにも、ここで紹介する感覚に少しでも心当たりがあれば── それはきっと、「出せないこと」への第一歩に、もう気づいているということなのかもしれません。
① 出したいのに、出し方がわからない
本当は、もっと素直な気持ちを伝えたいのに──どうやって言えばいいかわからない
そんなふうに、言葉が喉のあたりで止まってしまったことはありませんか?
これは、自分の中に“気持ち”はあるのに、 それを表現する「言語」や「方法」がわからない状態。
たとえるなら“英語で
あなたのこと、素敵だと思っています
と言いたいのに──”
I feel you love…? 🤔(←なんか惜しい)
(※正しくは “I think you’re wonderful.” とか “I really admire you.” です)
気持ちはある。伝えたい気持ちもある。
でも、“どう表現していいのかわからない”というもどかしさがあるんです。
② 話したあとに、なぜか後悔してしまう
自分のことをちょっと話してみた。
心の内を少しだけ言えた気がした。
そんな“出せた”ような瞬間があったのに、 そのあと、なぜかモヤモヤしたり、ゾワゾワしてしまったことはありませんか?
- 相手の反応が微妙だった
- 話した自分に、あとから恥ずかしさを感じた
- やっぱり言わなきゃよかったかな」と思ってしまった
それは、“出し方”の問題というより、 「出す準備が、自分の内側で整っていなかった」のかもしれません。
③ “素でいよう”と思うけど、素ってなに?がわからない
これも意外と多い声です。
もっと自然体で。素の自分でいいんだよ。
と言われても
“素”ってどこ?どれ?
とわからなくなる。
自分を出すっていうと、 “あるべき自分”とか“これが私です”みたいな像が必要な気がして、 でもその“出すべき自分”がピンとこない。
出したいのに、「出す元」が見つからない。
そんな感覚に、戸惑っている人も少なくありません。
④ 自分ではちゃんと出してる“つもり”だった
私はちゃんと伝えてるつもりなのに…これが今の精一杯なのに…
それでも、周囲から「もっと自分を見せてよ」「本音を話して」などと言われると、 なんだか否定されたような気持ちになってしまう。
実はこれ、“出す側と受け取る側の認識のズレ”でもあります。
あなたにとってはちゃんと「自分を出してる」ことが、 相手にとっては“見えていない”だけだったりする。
でもそのギャップがあると、「まだ足りないの?」って心がしんどくなっちゃうんですよね。
⑤ 「もっと出して」と言われると、無理やり引き出される感じがしてイヤ
これは私自身の体験としても強く残っている感覚です。
もっと素を出してよ。
って言われると、 こっちは出し方に迷ってるのに、 “勝手に引き出されそうになる”ような圧を感じてしまう。
自分の中にあるものを、 「今、どれくらい出すか」「どこまで出すか」は、 本来は“自分で決めたい”ことなんですよね。
なのに、それを他人にリクエストされたり、 出せていないことを責められると、
いや、それはこちらが決めることでしょ…
という、妙な反発心が生まれてしまうこともある。
そしてその反発すら、「出してないからだよ」と言われると── ますます心の扉を閉じたくなってしまう。
“出すべき自分”がわからない
これが私です」と言える“自分像”があったら、きっと自分を出すことも、もう少し楽になるのかもしれません。
でも実際は、「私って、どんな人なんだろう?」というところから始まっている人も、多いんですよね。
今まで、自分を出せないことで悩んでいる方の話をたくさん聞いてきました。
恋愛や人間関係はもちろん、表現活動をしている人でも、
自分を出すのがこわい
出したら嫌われそう
なんか恥ずかしい
そんなふうに感じて、立ち止まってしまうことがよくあります。
でも、そうした気持ちって、実はどれも“枝葉”のようなもので。
そのさらに根っこにあるのは、 「出したいけれど、出す“中身”がまだわからない」という感覚だったりします。
たとえるなら──
「無い袖は振れぬ」という言葉があるように、出したい気持ちはあっても、“出す袖そのもの”が見つからない。
(※お金がない人が「払いたくても払えない」ときのたとえです)
何を出せば“私らしい”と言えるのか?
どこまでが演じていない自分なんだろう?
そんなふうに、“中身の輪郭”がまだぼやけている状態では、 出すこと自体が、とてもむずかしく感じられて当然なんですよね。
本当の自分に再会するヒント
「出すべき自分がわからない」という感覚の正体。
それは、“誰かに見せる用に整えられた自分”じゃなくて、 もっとずっと素朴で、未加工な“本来の自分”を知りたいという気持ちなのかもしれません。
過去の私も、「もっと自分を出していいよ」と言われたときにすごく混乱しました。
今思えば、あれは「もっと本当のあなたが見たい」とか 「本当の自分を出しても大丈夫だよ」という、 やさしいニュアンスの声かけだったのかもしれないな…と、思います。
でも当時の私は、“本当の私ってなに?”がわからなかったから、出しようがなかった。
そんな感覚に心当たりがある人に向けて、 ここからは「本当の自分と再会するためのヒント」を3つ、紹介していきますね。
ヒント① 自分が感じていることに意識を向ける
「本来の自分って何ですか?」と聞かれたとき、 私がまずお伝えしたいのは──“感情”こそがその入り口だということ。
たとえば、価値観・人生観・考え方── それらもたしかに“自分らしさ”の一部ではあるけれど、 その奥には、もっと繊細で柔らかな「感情」があります。
この出来事を見て、私は何を感じた?
この言葉を聞いて、私はどんなふうに心が動いた?
その「感じたこと」こそが、“本来の自分”のかけら。 だからまずは、外に出すよりも先に、 「私は、今、なにを感じてる?」と、自分に問いかけてみることから始めてみてください。
ヒント② 感覚や感情を“言葉”や“表現”にしてみる
感じることはできても、それを言葉にするのって──案外むずかしい。
私たちだって、ちっちゃい頃は感じてるのに言葉にできなくて、 泣いたり、怒ったり、表現が全部“体”に出ていたりしましたよね。
でも今は、言葉という道具を持っている。
つまり、感じたことを少しずつ言語化してみる練習をしていくと、
“自分との信頼関係”が育っていくような感覚があるんです。
ただ、中にはこういうケースもあります。
感じてはいるけど、これってなんて言ったらいいかわからない。日本語が追いつかない。
という瞬間。
そういうときには、無理に言葉にしなくても大丈夫。
絵でもいいし、音楽でもいいし、体の動きやダンスでもいい。
なんでもいいから、「私はこれを感じているんだ」と、 表現したいと思えることが大切なんです。
ヒント③ 「自分を理解できたこと」に喜んでみる
私たちはつい、「何かができた」「人に認められた」といった 外側の成果で“喜ぶ回路”に慣れてしまっています。
でも、「あ、自分ってこういうときにこう感じるんだな」とか、 「この反応、意外だったな」みたいに、 “自分のことが少しわかった”という内側の発見にも、 そっと喜んでみてほしいのです。
それは、まるで自分という存在を ひとつひとつ丁寧に研究していく、“自己理解の研究者”のような感覚。
誰かに見せるためじゃなく、自分自身との再会のために。
そんなふうに、自分のことをわかってあげられる時間を、 静かに喜んでみてくださいね。
自分を出せない状態からステップアップする方法
ここまで、「出すべき自分がわからない」という根っこの部分に触れたり、 「本当の自分に再会するヒント」として感情や感覚を見つめることの大切さについて、お話ししてきました。
でも、いざ日常に戻ったときに── 「じゃあ、どうすれば“自分を出せるようになる”の?」と思うこともあるかもしれません。
そこでここでは、自分を出せない状態から、少しずつ“出せる私”へと近づいていくためのステップを5つ紹介しますね。
全部いっぺんにやろうとしなくて大丈夫。 どれかひとつでも「ちょっと試してみようかな」と思えるものがあったら、そこから始めてみてください。
① 心が動いた瞬間を、スルーしない
「自分って何?」という問いの入り口には、やっぱり“感情”や“感覚”がある。
そうわかっていても、私たちは日常の中で、それをついスルーしてしまうものです。
たとえば、モヤっとしたのに見なかったことにしたり、 ちょっと寂しさを感じたのに、忙しさに紛れて押し流してしまったり。
でも、その小さな「心の動き」をキャッチしてあげること。 それが、“本当の自分”との再会への入り口になります。
② 「ちょっとだけ言ってみる」から始めていい
自分を出すと聞くと、つい“大きなことを語る”ようなイメージを抱いてしまいます。
でも実際には、ほんの一言をつぶやくことからでも、十分始められるんですよね。
たとえば、「今日はちょっと寒いな」とか、「今、なんとなく寂しい気分」など。 そんなささやかなつぶやきでも、立派な“感情の表現”です。
そしてこうした一言には、相手も過剰に反応しにくいため、 「自分を出す」ことへの怖さを減らしながら練習するのにぴったりです。
③ 出せる相手を探すより、「出せる私」を育てる
つい、「この人の前なら出せる」「あの人の前では出せない」など、 人によって“出せる・出せない”を決めがちになるものです。
ですが裏を返せば「出せる人がいなければ私は出せない」という、 とても限定的な前提にもなってしまいます。
本当の意味で大切なのは、「どんな相手の前でも、自分で自分の出し方を選べる私」を育てること。
“どこまで出すか”を自分で決められると、 「出す自由」も「出さない自由」も、どちらも自分の手の内にあると感じられるようになります。
④ 出せなかった日も、“ゼロじゃない”ことを知る
今日は出せなかった」「また何も言えなかった」── そんなふうに落ち込んでしまう日も、もちろんあるでしょう。
大丈夫です!
これまで何年も自分を出さずに生きてきたなら、
今日1日、またそうだったとしても、なんの問題もありません。
それよりも、「出してみようかな」と意識したこと。 「感じようとしていたな」と気づけたこと。 そのこと自体が、すでに小さな前進です。
⑤ 「出したくなる感覚」を、ゆっくり育てていく
自分を出すことは、義務でもノルマでもありません。 むしろ、「出したいな」と自然に思えるようになる感覚のほうが、本質的です。
たとえば、自分の内側にたくさんの感情や気づきが育ってきたとき、 「誰かにちょっとシェアしたいな」と思うことがありますよね。
それはまるで、家庭菜園で実った野菜を、 「おすそ分けしようかな」と思うときのような自然な衝動。
だから、無理に出そうとする必要はありません。 “出したくなる感覚”が育つ余白を、自分の中にゆっくりとつくっていくことが大切です。
まとめ|“自分”は“出さなければいけないもの”でもない
ここまで、「自分を出せない」と感じている方に向けて、 その背景や構造、そして出せるようになるためのヒントをお伝えしてきました。
でも最後に、少し立ち止まって考えてみましょう。
そもそも── “自分”って、必ずしも出さなければいけないものなんでしょうか?
今は「個性を出そう」「自分らしく生きよう」といった価値観が広く推奨されていて、 自分を出すことが「良いこと」とされる風潮もあるかもしれません。
けれど、本当にそれが“自分にとって心地よいかどうか”は、 自分自身が決めていいことなんですよね。
大切なのは、「出す/出さない」のどちらかを選ぶ自由が、自分の中にあること。
でももし今、「自分を出したいのに出せない」と感じているのだとしたら── そこには、“そもそも自分って何?”がわからなくなっている感覚があるのかもしれません。
それはつまり、“誰にどう見せるか”の前に、 “自分と自分がつながっているかどうか”という問い。
この記事で本当にお伝えしたかったのは、 「自分を出すにはどうすればいいか?」という方法論の奥にある、 「あなたは今、自分自身とどれだけ仲良くできているだろう?」という感覚へのお誘いでした。
誰に、どれくらい自分を見せるかは、あなたが決めていい。
でもまずは、自分にとっての“自分”を取り戻すこと。 そのプロセスこそが、自分を出す・出さないを選べる“自由”につながっていくのだと思います。