
SNSや自己啓発の世界では、まるで合言葉のように
もっと自信を持って
自分に自信をつけなさい
と繰り返される今の時代。
でも、その「自信」って本当に、誰にとっても同じ意味を持っているのでしょうか?
ある人にとっては「堂々としていること」、別の人にとっては「自分の価値を疑わないこと」かもしれません。
そう、私たちは“自信”という言葉の中身をあまりに曖昧なまま、ただ「持ったほうがいいもの」として受け取ってきたのです。
このコラムでは、“ズレた自信=エゴ”がどのようにわたしたちの現実を止めてしまうのか、そして、そこからどうやって“ほんとうの自信”へと戻っていけるのかを丁寧に紐解いていきます。
Contents
そもそも“自信”って何?社会での使われ方
そもそも、「自信がある」とは、どういう状態なんでしょうか?
自信とは「自分を信じること」とよく言われますが、実はその“信じる中身”は人によってバラバラだったりします。
大きく分けて、私はこの「自信」には二つの軸があると感じています。
一つは、自分の能力やスキル、つまり“できること”に対する信頼です。
たとえば、「私はプレゼンが得意だ」「この仕事ならうまくやれる」といった自己効力感、あるいはエフィカシーに近いもの。
もう一つは、自分そのもの——存在や価値そのものを信じているという感覚。
こちらは「私はここにいていい」「存在するだけで大切な自分」という自己肯定感に近い性質を持っています。
でも多くの人が、自信を持とうとするとき、この2つをごちゃまぜにしてしまうんです。
ある人はスキルがあるのに「自信がない」と言い、また別の人は堂々としているように見えても、内側では「自分には価値がない」と感じていたりする。
「自信がある」「自信がない」と語る前に、まずは自分がどの“自信”を指しているのかを知ること。
そこを見落とすと、本題である「ズレた自信=エゴ」がどこから生まれるのかも見えにくくなってしまいます。
この先を読み進める前に、ぜひあなた自身の“自信の定義”を、ひと息ついて見直してみてくださいね。
“自信があるのにうまくいかない”という違和感
私はこれまで10年以上、女性たちの人生や恋愛の相談を受けてきましたが、その中でよく耳にするのが
自信を持ちましょう
自己肯定感を高めましょう
といった自己ケアのアドバイスを受けて、実際に努力してきた方々の声です。
たとえば、たくさんの講座に通い、自己理解を深め、「自信をつけるためのワーク」に真剣に取り組んできた。
それにも関わらず、このようなお悩みを抱える人がとても多いのです。
自信を持てるようになったはずなのに、なぜか結婚にはつながらない
起業したいと思っていたのに、いざとなると足がすくんで動けない
自信を持とうとしてがんばってきたけど、そもそもその“自信”が、自分の本当に欲しい未来に作用していない気がする
こんなふうに、“自信をつけたはずなのに、思っていた現実が動かない”という違和感を感じている方が、実はとても多いのです。
その原因として考えられるのは、ひとつには、さっきお話しした「自信の方向性」がズレていた可能性。
そしてもうひとつ。
意外と見落とされがちなのが、「自信」だと思って育ててきたものが、実は「エゴ」だったというケースです。
この“エゴを自信と勘違いしてしまう”状態こそが、今回のテーマである「ズレた自信=エゴ」の正体。
次のセクションでは、この“自信とエゴの違い”について、もう少し深く見ていきましょう。
ズレた自信=エゴとは?
自信をつけたのに、なんで現実がうまくいかないんだろう?
そんなふうに悩む人の話を聞いていると、共通して感じることがあります。
それって本当に“自信”なんだろうか…?
本人は自信をつけたつもりでいても、よくよく話を聞いてみると、実際には“自信のように見える何か”を身につけていただけで、それが本質的な自己一致ではなく、むしろ現実との摩擦を生む“別のもの”になっていた。
私は、それこそが「エゴ」と呼ばれるものの正体なんじゃないかと思っています。
私にとっての「エゴ」とは
- 仮の自己定義を守ろうとする力
- 本来の自分(存在)からズレて、“見せたい自分”として構築された自己像
- 証明したくなる・守りたくなる・正しさを主張したくなる衝動の源
本当の自信が「誰に証明しなくても、私は私だと思える静けさ」だとすれば、エゴは「自分の価値を証明し続けないと、存在が危うく感じてしまう」ような、不安ベースの“仮面”のようなものかもしれません。
“ズレた自信”がもたらす内側の分裂
ズレた自信、つまりエゴが肥大化していくと、やがて私たちの内側に“分裂”が起きます。
でも本人は「私はちゃんと自信をつけた」と思っているから、「自信があれば、現実も好転するはず」と信じている。
なのに実際には、エゴが強まるほどに現実は重たく、停滞していく。
この「予想と現実のズレ」によって、内面の混乱がさらに加速していきます。
ここでは、その分裂がもたらす3つの内面的な兆候について、見ていきましょう。
症状①|苦しさ「やってるのに報われない」
頑張ってるはずなのに、なんで?
そう感じるとき、実は「やってるつもり」であって、本質的には自分の内側とつながっていない可能性があります。
自分でも気づかぬうちに、「証明するためにやっている」状態になっていて、結果が出ないことで余計に不安や焦りが強くなってしまうのです。
症状②|疲弊「すごい自分像」に押しつぶされる
ズレた自信は、自分を守るために作り上げた“理想の自己像”とセットになっています。
その像にふさわしい振る舞いをしようとして頑張り続けたり、それを崩されないように気を張っていたり——。
気づけば、誰にも見せたくない本当の自分をどんどん奥に押し込め、「こんな私じゃダメだ」と自己否定を重ねてしまうようになるのです。
症状③|乖離「現実との接点を失っていく」
エゴが強くなるほど、現実に対する感覚が鈍くなっていきます。
思い通りにいかない相手や状況に対して苛立ちが募ったり、「誰もわかってくれない」が口グセになったり、社会や他人と健やかに関わる感覚がどんどん薄れていくのです。
それは、「現実と内面のズレ」が限界に達しているサインなのかもしれません。
強制終了として起こりやすい5つの現象
では、この「肥大化したエゴ」が終わりを迎えるとき、“現象”としては具体的にどんな形で現れるのでしょうか?
ご相談現場でもよく伺う、代表的なものを5つご紹介します。
あなたの身にも、思い当たることがあるかもしれません。
症状①|苦しさ:「頑張ってるのに、なんで……?」
最初に訪れるのは、“違和感”という名の苦しさ。
自信をつけたはずなのにうまくいかない
私はこんなに努力してるのに報われない
そんな感覚がじわじわと日常を覆っていきます。
この段階では、まだ“エゴが崩れかけている”とは気づきにくいけれど、実は内側では、「本当の私」と「作られた私」が引き裂かれ始めている。
そのズレが、苦しさという形で現れはじめるのです。
症状②|疲弊:「もう無理なのに、頑張らなきゃ」
次にくるのが、心と体のエネルギーの限界。
“すごい自分”像を守るために、自分を奮い立たせ続け、休むことができない。
本当は立ち止まりたいのに、「今やめたら終わってしまう」「ここで崩れたら全部無駄になる」と
自分にムチを打ち続けてしまう。
その結果、燃え尽きるように動けなくなる。
それが、強制終了の一歩手前のサインだったりもします。
症状③|現実のストップ:「全部止まった。どうしよう…」
突然の失職、仕事の契約打ち切り、大きな案件の消失、収入ゼロ……。
なんで今こんなことが?
というような出来事が、ドミノ倒しのように起こることがあります。
でもこれは、見方を変えれば「一度止まって見直して」というメッセージかもしれません。
外側をどうにかしようとするのではなく、自分の在り方そのものを変えるタイミングが来ている、というサインです。
症状④|人間関係の崩壊:「この人たちと、もう合わない…」
長年続いた関係が突然終わる。
大切にしていたつもりの人間関係に違和感が生まれる。
それは、自分の“立ち位置”が変わり始めている証かもしれません。
この関係を保っている私は、どんな私だった?
なこの関係が終わった先に、何がある?
関係の終わりは、自己像の再構築が始まる合図でもあります。
症状⑤|身体の不調:「もう限界だよ」のサイレン
病気、怪我、原因不明の体調不良。
これらは、最も分かりやすくて、無視しづらい“強制停止”です。
頭では「いける、まだやれる」と思っていても、
身体はもう限界を迎えているというサイン。
病気は「痛み」ではなく「ズレ」を知らせてくれることも多いです。
どこか無理していなかった?
と、自分に優しく問いかけてみてください。
これらは、いわば“エゴの崩壊サイン”とも言える現象です。
もしあなたが、今まさに似たような体験をしているなら、それは本当の自信が芽を出す前兆かもしれません。
“ズレた自信”の崩壊の先にあるもの
自信が崩れたとき、私たちは「何も残らなかった」と感じるかもしれません。
けれど、その“崩れ”の奥には、静かに芽を出しはじめているものがあります。
それが、「証明しなくても、私はここにいる」と思える感覚──
誰かに認められなくても、何かを成し遂げなくても、なお揺るがない“本当の自分”です。
それは、派手さこそありませんが、外側の状況に振り回されない、確かな土台となるものです。
本当の自信を育てるための3つのヒント
- 小さなモヤモヤを見て見ぬふりしないこと
- 「誰かに認められたい」という気持ちに気づいたら、そっと立ち止まってみること
- 人に見せなくても、「今日できた自分」をひとつ認めてあげること
これらは、どれもすぐに大きな変化を生むものではありません。
けれど、少しずつ、確かに“本来の自分”と現実との軸をそろえていく歩みになります。
まとめ:崩れたのではなく、“還った”のかもしれない
自信を失ったように見える瞬間も、実は「もともとの自分」に還るための過程だったのかもしれません。
誰にも証明しなくていい。
「私は、ここにいる」その体感に根ざしたとき、初めて育ち始めるものがあります。
それが、「ほんとうの自信」です。
無理に大きく見せることも、何かになろうとしなくてもいい。
今、あなたが立っている場所にこそ、その種は静かに息づいています。