
また自分を責めてしまった……
そう感じて落ち込んだことはありませんか?
- 反射的に「私が悪い」「どうせ私なんて」と、自分を責めてしまう。
- 本当はやめたいはずなのに、なぜかやめられない。
それはもしかすると、自分でも気づかないところで、“自分を責めることによって守られている何か”があるからかもしれません。
Contents
自分責めのダメージはジワジワ溜まる
自分責めって、誰かとケンカになるようなことじゃないし、周囲に迷惑をかけるものでもない。
だからこそ、見過ごされがちです。
でも実は、こうした“自分の中だけで起きていること”ほど、じわじわと自分自身のエネルギーを奪っていくんです。
たとえば、筋トレを怠った筋肉が少しずつ衰えていくように、自分責めという習慣は、気づかないうちに「自己価値感」や「自信」、「現実を創る力」を少しずつ削っていきます。
今すぐに目立った悪影響はないかもしれない。
けれど、積み重なったとき──
- 何かを始めたいとき
- 誰かを信じたいとき
- 人生を変えたいとき
「もう動けない」と感じてしまうような、“見えないダメージ”を残してしまうこともあるのです。
この記事では、なぜ私たちは自分を責めることをやめられないのか、そして、そこから少しずつ自由になるための視点について、丁寧に探っていきます。
自分責めがやめられない隠れたメリット3種
では、私たちはどうして
自分責めをやめたい!もう苦しいよ!
やめた方が絶対に楽になるじゃん!
と思っているのに、それでもやめられないのでしょうか?
ここには、ひとつの“発想の転換”が必要です。
私たちは頭では「自分責めをやめたい」と思っていても、実は心の奥深く──潜在意識のレベルでは、「やめたくない」「まだ責めていたい」と感じていることがあるのです。
つまり、自分を責めていたいと望んでいる自分がいるということ。
どういうことかというと、人は「意味があるから」行動を続けます。
たとえそれが苦しい習慣でも、無意識のどこかで“得している”部分がある限り、私たちはそれを手放せないのです。
では、自分責めにはどんな隠れたメリットがあるのでしょうか?
ここでは、代表的な3つをご紹介します。
メリット① 本気を出さなくて済む
自分責めがやめられない理由のひとつに、「自分の本気を出さなくて済む」というメリットがあります。
自分責めとは、言ってみれば自分の心や体に“見えない傷”をつけているようなもの。
その結果、私たちは「今の自分は本調子じゃない」と思い込み、本来の力を発揮しなくてもいい状態を、無意識に作り出してしまうのです。
私はまだ本領を出していないから、結果が出なくても仕方がないよね!
と、自分に対して納得できるようにしている。
これは、一見ネガティブなようでいて、実はとても器用な“心の守り方”でもあるのです。
Aタイプ|「本気を出しても、たいしたことなかったらどうしよう」という恐れ
「本気を出してもうまくいかなかったら、私は“本当の自分”の限界を知ってしまう」
そんな怖さから、あえて力を出さずにセーブする人がいます。
まだ本気出してないだけだから(笑)
という言い訳を持ち続けることで、自分への“期待”や“希望”を守ろうとするのです。
もしそれが崩れてしまったら、自分には何も残らない気がしてしまう。
だからこそ、責めることで“行動しない”という選択を正当化し、自分を守っているのです。
Bタイプ|「本気を出したら、誰とも一緒にいられなくなるかもしれない」という恐れ
こちらは、もっと静かで見えづらい恐れを抱えています。
自分には力があると、どこかで知っている。
でも、それを発揮することで「人から浮いてしまう」ことが怖いのです。
たとえば、全力で走れば誰よりも速くゴールできるかもしれない。
でも、振り返ったとき、誰もついてきていなかったら?
孤独になるくらいなら、最初から「ふつうの自分」でいよう
と決めてしまう。
つまり、力を抑えることは“孤立を避ける”ための手段でもあるのです。
このタイプは、飛び抜けた力を出すことで人に妬まれたり、距離を取られたりした過去があることも少なくありません。
自分で自分を責め、足かせをはめておくことで、安心できる人間関係を保とうとしているのです。
メリット② 本来の姿を出さなくて済む
自分責めをしているとき、私たちは“自分の本来の姿”を隠していることが多いものです。
たとえば自分の体に傷をつけている状態だとしましょう。
その傷が、見えない場所、たとえば太ももの裏などにあるとき、見た目には分からなくても、動きにくさや不自由さが生まれます。
体のパフォーマンスは、当然下がりますよね。(心理①に繋がります)
あるいは、顔に傷があったとしたら、人は前髪を伸ばして隠したり、眼帯をつけたり、包帯を巻いたり、ツバの広い帽子をかぶって視線を逸らそうとしたりします。
そうやって「顔=その人を最も象徴する部分」を隠すようになる。
実は、自分責めもこれと同じことを“心の領域”でしているのです。
自分を責めることで、
- 本来のキャラクター
- 空気感
- 感情の流れ
- 存在の輪郭
そうした“その人らしさ”を意図的に出せなくしている。
では、なぜ私たちはそんなふうに「本来の姿を隠す」ことに安心を感じるのでしょうか?
その背景には、やはり2つのタイプの心理があります。
Aタイプ|「本当の自分を見せたら、嫌われるかもしれない」という恐れ
- 自分らしく振る舞ったら「空気が読めない」と言われた
- 素直にテンションを上げたら「うるさい」と距離を取られた
- キャラを出したら「なんか変わってるよね」とからかわれた
そんな経験が積み重なると
私は私のままでは受け入れられない
という信念が生まれてしまいます。
すると、人間関係を壊さないために「本来の自分は出さない方がいい」という選択をするようになります。
そして、本来の自分がうっかり出てしまうことを避けるために、“自分責め”という形で傷を作り、自分で自分を隠すような状態を作り出すのです。
Bタイプ|「本当の自分を見せたら、愛されすぎてしまうかもしれない」という恐れ
一見、矛盾しているように思えるかもしれませんが、「愛されること」「注目されること」そのものが怖いという人もいます。
・期待されすぎてプレッシャーになる
・“特別扱い”されて気楽でいられなくなる
・注目されたことで、人の期待に応えなきゃいけなくなる
そんな恐れを無意識に抱えていると、あえて“普通の人”でいることが安全に感じられます。
自分責めをすることで、目立たない存在として振る舞うことができ、安心して「人の輪」にいられる。
つまり、「愛されることの重さ」や「光の責任」から逃れるために、自分を責めるという選択を無意識にしているのです。
メリット③ 攻撃されないための防衛
自分を責めているとき、どこかでこんなふうに思っていることはありませんか?
私はもう、自分で十分に反省していますから!
だから、これ以上誰も責めないで(涙)
これは、他人からの攻撃を避けるための、“先制防衛”のような心理です。
自分を小さく見せたり、弱さを前面に出したりすることで、これ以上誰にも責められずに済むように、自分を守ろうとする無意識の働きがあるのです。
Aタイプ|「お願い、これで勘弁して」タイプ
このタイプは、「これ以上ダメージを受けたら自分が壊れてしまう」という、とても繊細な恐れを抱えていることが多いです。
自分よりも他人の方が強く感じられたり、過去に強く批判された経験がある場合、「自分はこれ以上は耐えられない」と身体的・精神的に学習していることがあります。
そこで、先回りして自分を責めることで
私はもう反省しています!
だからもうこれ以上傷つけないでください!
と、世界に静かに訴えているのです。
これはまるで、頭を下げて懇願しているような、とても切実な自己防衛のスタイルです。
周囲から見れば「そこまで責めなくてもいいのに」と感じるかもしれませんが、本人にとっては“自分を守るために必要だった技”なのです。
Bタイプ|「ほら、私を傷つけられないでしょ?」タイプ
このタイプは、もっと戦略的に、でも無意識的に、「自分がすでに十分に傷ついている」ことを“演出”することで、他人に「これ以上手を出せない雰囲気」をつくり出します。
私はもうこれだけ落ち込んでいます。
こんなに自分を責めてるんです。
(チラッ…相手こっち見てるかしら…?)
そうやって、相手の良心に訴えることで、さらなる攻撃やダメ出しを避けようとするのです。
これは、自分の弱さを“圧力”として使っている状態とも言えます。
これ以上責めたら、あなたが悪者になるよ?
それでもいいの?私は弱いんだよ?
と、暗に伝えるような空気を生み出しているのです。
どちらのタイプも、根っこには「もうこれ以上、傷つきたくない」という同じ願いがあります。
そして自分を責めるという形で、“先に”痛みを引き受けたり、“あえて”弱さを見せて攻撃を回避しようとするのです。
でも、その方法は、知らず知らずのうちに自分を一番傷つけてしまっているかもしれませんね。
責めることで、自分の価値を削り、
係性の中でも不自由さを強めてしまっている可能性があります。
もしあなたが、
- これ以上、もう自分を痛めたくない
- もっと安心して生きられる方法があるなら知りたい
と思ったのなら、それは、新しい選択肢を手にする準備ができたサインです。
自分責めという“静かな防衛”の奥にある願いに気づき、少しずつ、自分を守る別の手段を選んでいきましょう。
自分責めが始まった“きっかけ”を探ってみよう
そもそも、私たちはなぜ自分を責めるようになったのでしょう?
赤ちゃんの頃、私たちは責めるどころか、ただ感じるままに生きていました。
泣いちゃって、ご迷惑かけて、ごめんなさい〜!
なんて思わない。
ということは、「自分責め」はあとから身につけたもの。
どこかのタイミングで、“自分を責めることが必要だ”と感じる出来事があったはずなのです。
たとえば:
- 感情を出したら否定された
- 喜んだら「調子に乗るな」と言われた
- 頑張ったのに「まだまだ」とダメ出しされた
こうした経験を通して、私たちは少しずつ、
自分はこのままじゃダメなんだ
先に自分を責めておいた方が安全なんだ
という戦略を身につけていったのかもしれません。
自分責めをやめる3つの視点
ここからは、自分責めの“やめ方”というよりも、
そこから自由になるための「視点」をご紹介します。
視点① 自分責めに気づいたら、問いかける
自分を責めていると気づいたとき、ただ「また責めてる……」と落ち込むのではなく、「いま、何から自分を守ろうとしているのかな?」と問いかけてみてください。
この問いには、いまの自分にとって「責めることがどんな役割を担っているか?」という視点を取り戻す力があります。
それだけで、自分責めが“敵”ではなく“味方だったんだ”と、少しずつ見え方が変わってきます。
自分を責めるという行動の奥には、必ず「守りたい何か」があったはずです。
その守りたい何かに気づいたとき、責める必要は少しずつ消えていきます。
視点② 自分の「Aタイプ or Bタイプ」を意識する
前述したAタイプ・Bタイプの分類に当てはめて、「私はどっちの傾向が強いかな?」と観察してみましょう。
Aタイプなら:「自己否定の裏にある恐れ」
Bタイプなら:「光に対するプレッシャーや孤独感」
それぞれ丁寧に見ていくことで、自分責めの背景が具体的に見えてきます。
自分を知ることは、責めをやめる第一歩です。
分析ではなく“理解”としてのセルフチェックを心がけてみてください。
視点③ 自分責めをやめられなかった理由を肯定する
「なんでやめられなかったの!」と責めるのではなく
それだけ守りたかったものがあったんだね
と、自分の過去をまるごと受け止めてあげましょう。
自分を守ってきたその戦略に、「ありがとう」と言える日が来たら、自分責めは役割を終えて、自然と手放されていきます。
これまで自分責めをしてきたあなたは、弱かったわけでも、間違っていたわけでもありません。
ただ、その時その時で「一番マシな選択肢」を選んでいただけなのです。
責めることで守ってきた自分に、優しさを向けよう
自分責めは、決してあなたを壊すためにあったのではありません。
誰かに否定されたあの日、誰かに届きたかったあの時、あなたの心が選んだ“やさしい防衛”だったのです。
そして今、あなたには新しい選択肢があります。
責めることで守ってきた自分に、やさしさを向けながら、少しずつ、力の出し方を選べるようになること。
本音を大切にしながら、人とのつながりも保っていける道を選ぶこと。
そうして、かつての“必要だった戦略”を、静かに、感謝とともに手放していきましょう。