
このままでいいのかな?
私って、ほんとうはどんな人間なんだろう。
そんな問いが、ふいに心をよぎることはありませんか?
- 日常はちゃんと回っている。
- 特別つらいことがあるわけでもない。
- どこか窮屈で、満たされないような空虚さ。
ふとした瞬間に「ここにいるようで、どこかにいないような自分」に気づいてしまう、うっすらとした違和感。
その感覚は、
ねぇ、どこかに置いてきちゃった“私”を、迎えに行ってくれない?
そんな、小さな“司令”なのかもしれません。
自分探しとは、決して“正解”を探す旅ではありません。
ましてや“特別な場所”に行くことでもない。
かつてどこかに置いてきた“私のかけら”を、静かに拾いに行く旅なのだと思うのです。
Contents
自分探し=迷子の自分を見つけたい、という願い
私の元には、恋愛・結婚・仕事・転職・生き方など、人生そのものの問いを抱えて来られる方が多くいらっしゃいます。
これからどう生きていけばいいのか分からない
私にしかできないことって何だろう
そんなとき、人は“自分探し”という名の旅に出たくなるのかもしれません。
実はこの「自分を見つけたい」という願いは、ある共通点を持った“人生の節目”に、よく現れるのです。
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① 思春期〜“私は誰か?”という問いが芽生えるころ
いわゆる“中二病”のような時期ですね。
親の価値観や世間の枠組みから、自分を切り離そうとする始まり。
「親の子どもとしての私」ではなく、「私自身」としての在り方を模索し始めるフェーズが、人生で初めての自分探しの始まりかと思います。
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② 20代中盤〜クオーターライフ・クライシス
そして社会に出て、結婚・出産・転職など、人生の進み方に個人差が出始める頃。
学生時代までは横並びだった“人生”に、「私はどの道を選ぶの?」という問いが浮かび上がる時期。
このタイミングで自己啓発やキャリアパスについて興味を持って、学び始める人も多いでしょう。
アイデンティティの脱皮期とも言える段階が、人生で2回めの自分探しをしやすい時期だと思います。
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③ 30〜40代以降〜ミッドライフ・クライシス
さらに人生は進んで、生活が安定してきた頃にふと訪れる“空虚さ”や“意味の問い”。
ここまで積み上げてきた「自分」って、本当に“自分”だったのか…?
そそんな迷いが生まれた時、また内なる“わたし”がそっとつぶやくのです。
人生半分くらい過ぎたね?
でも、ちょっと昔の“私”を過去に置いてきてしまったんだよね。
探してきてくれない?
このように、自分探しは「思考のクセ」や「性格」ではなく、人生の節目に起きる自然なプロセスです。
「自分を見失ったかも」と思ったときは、“迷子”になったわけではなく、“新しい私”に出会う前兆なのかもしれません。
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自分探しをしたくなるとき、心の中で起きていること
では、どんなときに「自分探し」が始まるのでしょうか?
それは突然やってくる“危機”というより、じわじわと心の奥に溜まっていく“違和感の堆積”のようなもの。
心の中では、こんな“予兆”がひっそりと始まっていることが少なくありません。
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① 今の生き方に「これじゃない感」がある
日々やるべきことをこなして、ある程度うまくいっている。
表面上は問題ないはずなのに、心の奥では「何かが違う」と感じてしまう。
本を読んでも、映画を観ても、話題のカフェに行っても、なぜか心が満たされない。
こんなはずじゃなかった気がする
本当にやりたかったのは、これじゃなかったような…
そんな“ずれ”が積み重なってくると、それまで普通に送っていた日常が、急にぼやけて見えてくるのです。
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② SNSや他人と比べて、取り残されている気がする
誰かが夢を叶えた、素敵なパートナーと結婚した、
子どもが生まれた、海外に移住した、起業した──
SNSを見ていると、まるで“みんな順調に人生を進めている”ように見えてしまう。
それに比べて自分は、なにひとつちゃんとできていないような気がしてくる。
どうして私は、ここから動けないんだろう
頑張ってるつもりなのに、報われてない気がする
そんな風にして、他人との“見えないレース”に巻き込まれたとき、私たちは「自分って、何をしてるんだろう…」という問いに直面します。
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③ 夢も目標もなく、人生に手応えがない
やりたいことがないわけじゃない。
でも、それが「これだ」と言えるほど強いものではない。
自分の未来を思い描こうとしても、どこかモノクロで、輪郭が曖昧なまま。
このまま時間だけが過ぎていくのかな
私、なにかをやり遂げたって思える日が来るんだろうか
目の前の毎日は回っているのに、心の中では立ち止まってしまっている。
そんな“動いているようで動いていない感覚”が続くとき、自分を探したくなるのです。
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④ 本当の自分を置き去りにしてきた感覚がある
誰かに合わせることが当たり前になっていた。
期待に応えるのが、自分の役割になっていた。
でもある日、ふと気づくのです。
あれ、これって本当に私がやりたいことだった?
本当は、もっと違うことを感じてたんじゃない?
何かを成し遂げた後で虚しくなったり、「ありがとう」と言われたのに素直に喜べなかったり──
そんな小さなサインのひとつひとつが、“自分が自分から離れてしまっていた証”かもしれません。
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⑤ 「今」がこのままずっと続くと思うと、絶望する
なんとなく忙しい毎日。
なんとなくやるべきことはこなして、ちゃんと社会に参加しているつもり。
でも、ふと未来を想像したとき、息がつまるような感覚に襲われる。
この“なんとなく”のまま、人生が終わってしまったら…
10年後も同じ場所にいたらどうしよう
そんなふうに、まだ何も起きていない“未来の静かな絶望”に包まれたとき、心の奥からひとつの問いが立ち上がってくるのです。
私の人生、このままでほんとうにいいの?と。
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自分探しでつまずいてしまう人の7つの共通点
- 自分を見つけたくて始めたはずの旅なのに、なぜか、どんどんわからなくなっていく。
- 自分のことを知ろうとしているのに、自分が遠くなる──
そんな感覚に陥ったことはありませんか?
実は、自分探しをすればするほど迷路に入ってしまう人には、ある共通した“心理的な特徴”があります。
本当の自分を見つけるぞ!
と勢いよく走り出す前に、一度立ち止まって、自分のスタンスを見直してみることが、とても大切なんです。
もしあなたが、これから挙げるどれかに心当たりがあるなら、その探し方はもしかすると、“ほんとうの自分”から遠ざかるルートになってしまっているかもしれません。
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① 正解のある“理想の自分”を探しに行ってしまう
- こうなれば正解
- これを成し遂げれば、ちゃんとした人になれる
そうやって、“正解パッケージ”のようなものを追いかけてしまうと
今の私はまだ未完成
今の私はまだ正しくない
と、自分を否定することから始まってしまいます。
でも本当の自分は、最初から誰かが決めた正解に当てはまるものではないはず。
それにも関わらず「正解っぽい本当の自分像」を探しに出掛けてしまうと、なかなか苦しいものになります。
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② 「今のままじゃダメだ」という焦りが原動力になっている
- 何かを変えなきゃ
- 今のままだと、私終わっちゃう気がする
そんな焦燥感に背中を押されて、自分を探しに行こうとするのは、その出発点にはすでに「否定」があるという表れです。
いまの私は足りない
このままじゃダメだから変わらなきゃ
そういう思いが強いと、どんな素敵な気づきも、「まだ足りない」に変換されてしまうんです。
焦りから始めた自分探しも、迷走することが多いです。
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③ 過去や他人との比較から、“不足感”ばかりを見つけてしまう
- あの頃の私は輝いてた
- どうして私は、あの人みたいにできないんだろう
そんなふうに、“前の私”や“誰か”と比べ始めると、今この瞬間の自分が、どんどん色あせて見えてしまいますよね。
前はもっとできたのに!あの子はもっとできるのに!
だから私ももっと本来の自分になって輝かなくちゃ。
ここまで極端ではないかもしれませんが、比較の世界にいると、自分の本音や“好き嫌い”の輪郭が、どんどんぼやけていきます。
そして比較の世界から始まった自分探しもまた、あまり芳しくない結果になりやすいのです。
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④ 外にばかり答えを求めてしまう
本、インフルエンサー、動画、心理テスト、占い
どれも「本来の自分」のヒントにはなるけれど、“ドンピシャな答え”がそこに書かれているわけではありません。
私はホロスコープでは蟹座で!動物占いではサルで!四柱推命では比肩健録で!
えーーと、だから…つまり…私って誰?(←情報過多による思考ショート)
あらゆる情報をインプットしても、自分の感覚を通さないままだと、迷いはむしろ増えていくばかり。
「世界のどこかに私について詳しく書かれた説明書がある」といった幻想を手放さない限り、自分探しという名の迷路にハマってしまいます。
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⑤ 「こうあるべき」にとらわれている
いい人でいなきゃ
ちゃんと働いて、ちゃんと恋愛して、ちゃんと幸せにならなきゃ──
そんな“社会的な正解”や“理想像”を強く持ち過ぎたまま生きていると、いつの間にか人生が自分不在になってしまいます。
この状態方自分探しを始めても、世間的に良いとされる自分像を追い求めてしまうことになりかねません。
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⑥ 「自分を見つけること」が目的になってしまっている
何者かになりたい
まだ本当の私が見つかってない──
きっといつか「本当の私」に出会えるはず!
そうやって“探している自分”に安心してしまうと、「自分を探し続けること」が目的になってしまいます。
でも、本当は見つけることよりも、“見つけようとしている自分”と、どう付き合っているかが問われているのかもしれません。
自分探しを楽しむことは素晴らしいのですが、それ自体が“人生でいちばんの目的”になってしまうと、一種の世捨て人のようになってしまうかもしれません。
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⑦ 「本当の自分」という完成パッケージが、どこかにあると思ってしまう
まるで宝箱を探すように、「本当の私」という“完全体”が、どこかにあると思ってしまう人も、自分探しでつまづきやすいです。
でも、自分ってそんな“確定された何か”じゃない。
むしろ、いくつものかけらを集めながら、少しずつできあがっていく未完の存在だと思うのです。
ゼルダの冒険のように、あちこちに落ちている“記憶のかけら”や“強さの種”を拾って、ようやく手にした「いまの私」こそ、たったひとつの“本当の私”なのかもしれないなぁと私は思っています。
完成パッケージがあることを前提に自分探しを始めると、「そんなものはどこにも存在しない」と知った時の絶望感が大きくなりすぎるかもしれませんね。
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“ほんとうの私”に再会するための7つのヒント
では、どうすれば「ほんとうの私」に近づいていけるのでしょうか。
それは、どこかに“新しい私”を探しにいくことではなく「もうすでにここにいる私」と、ひとつずつ関係を結び直していくことなのかもしれません。
正解を目指すのでも、完全な姿を取り戻すのでもなく、かけらを拾い集めながら、日々“創られていく私”とともに歩むこと。
そんな視点から、7つのヒントをご紹介します。
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① 正解探しではなく、“これから作っていく私”という視点を持つ
正解探しではなく、“これから作っていく私”という視点を持つことができると、より「本当の私」に出会いやすくなるかもしれません。
きっとこれが正しい本来の自分!
そうやって“正解”を探し始めると、どうしても今の自分は“まだ不十分”に見えてしまいますよね。
でも、ほんとうの自分とは「どこかに正解があるもの」ではなく、「これからどう生きていきたいか」の答えによって変わってくるのではないでしょうか。
私はまだ完成してない。だからこそ、面白い。
そんなふうに思えたとき、自分探しは「正解探し」から、「創造の旅」へと変わっていきます。
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② 今の自分を否定せず、“満たされた状態からの深まり”を目指す
何かが足りないから探すのではなく、「すでに十分である私」をベースに、さらに自分の可能性にチャレンジしていく、というスタンスもおすすめです。
まだまだ足りないと思って探すと、どんな成果も「まだ不十分」に見えてしまう。
でも、「今ここにある私も、すでに豊か」と思えると、その延長線上にあるものは、すべて“余白”であり“可能性”に変わります。
焦らなくてもいい。
もう私は十分満たされていて、ここからは「可能性にチャレンジする」フェーズで「欠乏感を埋める」ための自分探しじゃないよ。
こんな風に思うことができたら、きっとそれは「自分探し」ではなく「可能性への旅」になるのだと思います。
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③ 比較ではなく、“しっくりくる感覚”を基準に選ぶ
比較ではなく、自分にとってしっくりくるかを基準に内観する習慣ができると「本当の自分」との再会がぐっと早くなるでしょう。
SNSを見れば、素敵に生きている人がたくさんいます。
あの人の言葉、あの人の選択、あの人の人生がまぶしく見えることもあるでしょう。
でも、他人の正解は、あなたの正解とは限らないですものね。
私は、どんなときに心が動いた?
どんな瞬間に、体が“YES”って言った?
そんなふうに、自分の感覚に問いかけることこそが、自分の輪郭を取り戻す第一歩になります。
“いいか悪いか”ではなく、“合うかどうか”というシンプルな感覚を基準にすることができたら、きっと「本来の私」に出会うタイミングはすぐそこです。
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④ 答えは外じゃなく、“内側の声”に宿っていると信じてみる
「本来の自分」は外側に探しに行くものではなく、「内側の声が教えてくれるものである」と考えることができたら、さらに本来の自分との再会が近づくでしょう
本を読んだり、人の話を聞いたり、動画を観たり。
たしかにそれらは、ヒントをくれるかもしれません。
でも本当の答えは、もっと静かな場所──あなたの内側の、いちばん奥にある声からしか聞こえてこないのです。
- ノートに何かを書いたときの違和感
- ふとした言葉に泣きそうになった瞬間
- なぜかわからないけど拒否したくなった何か
それらはすべて、“あなたの内なるナビゲーター”からのサインです。
私は、本当はどう感じている?
それって、どこかズレてない?
そんな問いかけを重ねていくうちに、ふいに“確信のような感覚”が静かにやってくるときがあります。
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⑤ 「こうあるべき」ではなく、“私はどう在りたいか”を問いにする
「他の人がどうか?」ではなく、「自分はどう在りたいのか?」を中心軸に添えることも、本来の自分と出会う上では大事です。
- 〜すべき
- 〜でなければいけない
- 〜であらねば
そんな“正しさ”を基準に生きていると、いつの間にか、自分の「願い」を置き去りにしてしまいます。
でも、ほんとうの私が向かいたいのは、“誰かが決めた理想”じゃなくて、“私が心から望んでいる方向”のはず。
私は、本当はどんな人間でありたいんだろう?
どんな時間を、どんな気持ちで、生きていきたいんだろう?
問いを変えるだけで、見える景色が変わってきます。
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⑥ 「自分を見つけること」を目的化せず、“旅そのもの”を楽しむ
自分探しの目的は、もちろん「本当の自分を見つけること」「自分自身と出会うこと」にあるのは間違いありません。
けれど、その目的を“本当の自分と出会うこと”だけに限定してしまうのは、少しもったいない気もするのです。
そもそも、本来の自分というのは、あらかじめ完成された姿で世界のどこかに存在しているものではありません。
しろ、自分に出会う旅そのものを楽しみながら、その道すがらでたくさんの経験を積み重ねていく──
その時間こそが、かけがえのない価値を持っているのではないでしょうか。
自分探しの目的を「自分を見つけること」だけに縛らないほうが、むしろ思いがけないタイミングで、ひょっこりと“本来の自分”に出会えてしまう。
そんな不思議さが、この旅の面白さでもあるのです。
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⑦ 「本当の自分」はパッケージじゃない。“かけら”を集めていくゲームみたいなもの
これまでの段落でもお伝えしてきた通り、自分探しの中で出会う“本来の私”というのは、完成されたパッケージとしてどこかに展示されているわけでもなければ、
これだ!これが本当の私だ!
と一撃でわかるような、絶対的なものでもありません。
むしろ、自分探しの旅を進めながら、その途中で少しずつ“本来の自分のかけら”を拾い集めていく。
そして、かけらがある程度の大きさになったとき、ふと
ああ、これが私なのかもしれない
うっすらとその全体像が見えてくる。そんな順番で、本来の自分に出会っていくものなのかもしれません。
そう思えると、自分探しの旅はもっと気楽に、気負わず、そして楽しみながら歩んでいけるのではないでしょうか。
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まとめ|「自分探し」とは、確定ではなく“生成”の旅
自分探しとは、どこか遠くにある“本当の自分”を見つけて終わる、ゴール型の旅ではありません。
自分を探していくその過程そのものが、いちばんの宝物になる。
進むたびに見つかる感情や、選び直す小さな判断、そういった“旅の途中で起こること”すべてが、自分の一部になっていきます。
だからこそ、自分探しを「ゴール」にせず、自分探しの「プロセス」を楽しめた人こそ──
逆説的だけれど、本当に“自分らしい私”に出会っていくのかもしれません。