
人に期待してしまう。そして、叶わずに失望してしまう。
このサイクルを何度も繰り返すうちに、気づかないうちにエネルギーがじわじわ漏れていく──そんな感覚、覚えがありませんか?
彼氏から連絡が来ない、職場で頑張っても誰も見てくれない、家族が私の努力に気づいてくれない……
人はつい、身近な人ほど“もっとこうしてほしい”という期待を持ってしまうものです。
でも、期待は叶わないことのほうが多く、そこから生まれる失望が私たちの心をじわじわと消耗させていきます。
期待が悪いわけではありません。
でも、その扱い方を間違えると、心のガソリンが減っていくように、生きづらさの原因になってしまうのです。
このコラムでは“期待”とのちょうど良い付き合い方や扱いを、一緒に考えていきましょう。
Contents
他人への期待と失望がエネルギー漏れを起こす
私のところには、10年以上にわたって多くの女性から、恋愛・夫婦関係・仕事・お金・家族・夢など、さまざまな悩みが寄せられてきました。
内容はそれぞれ違っていても、根っこにはいつも共通のテーマがあります。
それは──「期待が叶わない」という感覚です。
- 結婚できると思っていたのに結婚できない
- 「もっと評価されるはずだったのに」
- 「あの人は、わかってくれると思っていたのに」
こうした“思っていた未来”が裏切られたとき、人は大きく落胆し、心のエネルギーをふっと失います。
本来、期待すること自体は悪いことではありません。
「期待」という言葉には、“期を待つ”──つまり、タイミングを待つという意味が含まれています。
でも問題は、その期待が叶わなかったと確定した瞬間の「失望」です。
あの一瞬、私たちはまるでタイヤに小さな穴が空いたように、シューっとエネルギーが漏れ出してしまいます。
空気の抜けたタイヤでは、自転車を走らせるのが難しいように、心にエネルギーが残っていない状態では、人生を前に進めていくのが苦しくなってしまうのです。
実際、こんな声をよく耳にします。
彼がプロポーズしてくれない。そろそろだと思ってたのに…
職場の後輩が使えなさすぎて、毎日イライラする
会社の将来性が見えなくて、こんなに頑張ってるのに給料が上がらない
こうして、恋人に、職場に、社会に、家族に……さまざまな方面に期待をかけては、叶わず、そしてフシューッと心がしぼんでしまう。
だからこそ、よく「人に期待しない方がいい」と言われるのだと思います。
それは、期待がダメというよりも、“失望によるエネルギー漏れ”から自分を守るための工夫なのだと、ご相談を伺っていて感じるのです。
人に期待すると疲れる理由
「期待するのが悪いわけじゃない」とはよく言われます。
でも実際、期待すればするほど、気づけば心が疲弊している──そんな経験をした人も多いのではないでしょうか。
ここでは、“なぜ期待すると疲れるのか?”を、日常でもなじみのある「投資」という例えで見ていきます。
① 期待すること=エネルギーの投資
期待とは、相手に自分のエネルギーをかける行為です。
きっと、こうしてくれるはず
彼がこの人なら応えてくれるかもしれない
そんなふうに“気持ち”という資源を注ぎ込む。
ある意味では、感情のNISAみたいなものかもしれません。
投資に例えると、期待とは「将来のリターンを信じて資産を預けること」。
もちろん、相手が応えてくれればその分の安心や喜びが返ってくる。
でも、うまくいかないこともある──それが現実です。
(ちなみに私はNISAに乗り遅れました。誰かやり方教えてください…)
② 失望すること=掛け金の消失
期待していたことが叶わなかったとき、私たちは大なり小なり、心の中で「損失」を感じます。
裏切られたような気がする
信じた自分がバカみたい
もう誰も信用したくない
そうやって、信頼や意欲といった“見えない資産”が、一気に目減りしてしまうのです。
投資の世界でいえば、突然の値崩れで資産が減ってしまうようなもの。
時間をかけて積み上げてきたものが、ある一言や一場面で崩れてしまう──それが“失望”の威力です。
③ 期待が「前提」に変わると、疲労が常態化する
期待することは、ある意味“投資”のようなものとお伝えしたように、「投資」ですからエネルギーをかけた分、何かしらのリターンがあることをどこかで信じています。
でも、その期待が何度も裏切られ、失望を繰り返していると──
だんだんと、「人に期待するのはもうやめよう」と思ってしまうのも、無理はありません。
たとえば、3000円の株を買って、それが1000円に下がったとします。
確かにショックはあるけれど、金額も小さければ「まぁ、仕方ない」と思えるかもしれません。
でも、100万円の株を買って、それがある日100円になってしまったらどうでしょう。
100万円がワンコインになった!!!!!
そんなことになれば、精神的ダメージは相当大きいはずです。
それでも諦めずに、また100万円分の株を買い直す。
でも、次は500円に下がり、その次は10円に……。
そんなことが何度も続いたら、もはや“損をすること”が日常になってしまいます。
人に期待することも、これと同じです。
今度こそは、わかってくれるはず
今度こそ、応えてくれるはず
そう信じてエネルギーを注ぐけれど、また叶わない。
また、しぼむ。また、がっかりする。
この繰り返しの中で、期待すること自体が“前提”になり、失望することも“日常”になってしまう。
すると、もう特別に落ち込むことすらなくなって、ただ静かに、ずっと疲れている──そんな状態に陥ってしまうのです。
これは、「期待するから疲れる」というより、「期待が叶わないことが常態化しているから疲れが抜けない」という構造に近いかもしれません。
人への期待の中に入りがちな不純物
私たちは、誰かに対して期待を抱くとき、「ただ信じたい」「可能性を見ていたい」といった純粋な気持ちだけで動いているとは限りません。
期待の中には、“気づかないまま混ざってしまう感情や願望”が存在します。
それは一見すると善意のようでいて、実は自分の恐れや未消化の欲求が影響していることも少なくありません。
こうした“見えないノイズ”が混ざっていると、期待がうまくいかなかったときの失望はより深く、また相手との関係性もこじれやすくなってしまいます。
ここでは、人への期待の中に紛れ込みやすい5つの不純物について見ていきましょう。
① 理想の人でいてほしい
「こういう人であってほしい」という期待は、相手を“現実の一人の人間”として見るのではなく、自分の中にある理想像に当てはめて見るという行為でもあります。
たとえば、芸能人やインフルエンサーのような“見られる仕事”をしている人たちに、私たちは無意識に、一定のイメージを投影します。
- 爽やかで清潔感がある
- 知的で誠実そう
- プライベートもキラキラしてそう
でも、そんな理想像が本人の発言やスキャンダルなどで崩れたとき、私たちは驚き、落胆し、「裏切られた」とすら感じることがあります。
たとえば──
清楚で品のあるイメージだった俳優が実は薬物使用で逮捕されたり、知的でスマートだと思っていた人の個人SNSが、想像以上に軽率で幼稚だったり。
その瞬間に感じるショックは、相手が理想像と違っていたこと自体というよりも、「自分が抱いていた期待に反した」という事実のほうにあるのかもしれません。
そして同じことは、実は身近な人間関係の中でも起きているのです。
② 何か与えてほしい
人への期待には、ときに「欲しいものをくれるかもしれない」という無意識の欲求が潜んでいます。
たとえば高評価のカフェに「きっと居心地もサービスもいいはず」と期待して入ったら、
スタッフが思いのほか素っ気なく、注文も雑だった。
その瞬間、「感じ悪い」「期待外れだった」とイライラしてしまう。
でも、スタッフはただその日ちょっと忙しかっただけかもしれないし、私のことを“雑に扱おう”と意図していたわけではない。
それでも私たちは、「心地よさ」や「丁寧さ」を与えてくれるはずという見えない前提を、相手に押しつけてしまうことがあるのです。
人間関係でも同じです。
安心させてくれるよね?
私に価値をくれるよね?
といった願いが積もると、相手の存在自体が“自分の欠けを埋めてくれるもの”のようになってしまう。
その瞬間、期待は“信頼”ではなく“依存”へとすり替わっていきます。
③ コントロールしたい
親子やパートナーなど、距離の近い関係では、「期待」という名のコントロールが生まれやすくなります。
あなたのためを思って言ってるのよ。
ちゃんとやってくれたら、私は安心できるのに
もっとしっかりしてくれたら、私は頑張らなくて済むのに
いい子にしてくれたら、私は世間に恥をかかずに済むのに
こうした言葉には、一見すると相手への愛情や心配がにじんでいるように見えます。
けれどその奥には、“自分の安心・自分の体面・自分の負担軽減”といった、自分の内側の都合が静かに潜んでいることもあるのです。
コントロールとは、「こうしてくれたら私は◯◯できる」という前提で構成されます。
だからこそ、期待が強くなるほど、相手の自由やタイミングを奪ってしまうこともあるのです。
④ 私の代わりにやってほしい
人への期待には、自分自身の未完了の想いが投影されることもあります。
- 自分が選べなかった道を、子どもに歩いてほしい
- 自分が諦めた夢を、パートナーに叶えてほしい
- 自分では伝えられなかった気持ちを、誰かが代わりに伝えてほしい
こうした期待は、「自分では叶えられなかったことを、誰かが代わりにやってくれる」という構造に近い。
たとえば、子役のステージママや過剰なお受験教育などには、親の夢や不安が子どもに重なっているケースもあります。
相手の人生に自分の未練を預けてしまうと、それは“愛情”というよりも“代理戦争”のようになってしまうこともあるのです。
⑤ 過去までチャラにしてほしい
今のあなたが、過去の彼らのぶんまで償ってくれるよね?
少々わかりにくいのですが、過去に受けた傷の補償を、目の前の人物に対して無意識に要求しているケースも少なくありません。
たとえば、
- 1人目の彼に裏切られ
- 2人目の彼に見捨てられ
- 3人目の彼に大切にされなかった
そのたびに増えていった“心の借金”を、次に出会った相手にまとめて返済してもらおうとしてしまうのです。
私を癒して。もうこれ以上、私を傷つけないで。あなたが全部、やり直させて。
それは“今の人”に向けた期待のように見えて、本当は“過去の痛み”に対する補償を求めているだけかもしれません。
でも目の前の相手は、過去の誰かの身代わりではありません。
その見極めを失ったとき、期待はいつのまにか“静かな請求書”になってしまうのです。
「期待は弾かれる」という法則
面白いもので、「こうしてほしい!」と強く願えば願うほど、相手にはその期待が“重さ”として伝わり、逆にうまくいかなくなることがあります。
これは心理学でいう「期待の非言語的圧力」です。
特に“変わってほしい”という期待は、相手の潜在意識には「今のあなたはダメ」という否定として伝わってしまいます。
そのため、変わってほしいと願えば願うほど、相手はその場に踏みとどまるように抵抗を感じるのです。
期待とは、表現を間違えると“弾かれる”もの。
だからこそ、扱いには繊細さが求められます。
人に期待しないための5つのステップ
他人に期待しない生き方は、冷たいことではありません。
むしろ、「自分の願いを、自分の手に取り戻す」ための、静かで力強い選択です。
ここからは、そのための具体的な5つのステップを紹介します。
Step1|何を期待していたのかを知る
まずは、「誰に・何を・どうして」期待していたのか、丁寧に言語化してみましょう。
- 彼にもっとマメに連絡してほしかった
- 上司に努力を認めてほしかった
- 親にもっと私を気にかけてほしかった
こうして見えてくる“期待の中身”は、実はそのままの形ではないことも少なくありません。
たとえば、純度100%の願いのように見えても、その中には「不安」「欠乏」「寂しさ」などの“不純物”が紛れ込んでいることもあるのです。
まるで、ろ過されていない醤油やワインに澱(おり)が沈んでいるように。
まずは、あなたの中にある液体(=願い)を静かに置いてみる。
そこからゆっくりと沈殿してくる“見えない混ざりもの”に気づくことが、第一歩なのです。
Step2|相手が応えなかったら何が困る?
次に、その期待が満たされなかったとき、「何が一番つらかったのか?」を見ていきましょう。
- 寂しかった
- 見捨てられた気がした
- 自分には価値がないように感じた
これが、“困り感”と呼ばれるものです。
実はこの「困り感」こそが、Step1で浮かび上がった“不純物”の正体を教えてくれる視点になります。
たとえば、「連絡が少なくてつらかった」という出来事も、その本質には「私は大切にされたい」「繋がっていたい」という深い願いが隠れていたりする。
期待が外れた“その時の痛み”に目を向けることで、あなたがほんとうに欲しかったものが見えてくるのです。
Step3|“期を待っている”メンタルを観察しよう
「期待」という言葉は、もともと“期(とき)を待つ”という意味を持っています。
その“待ち時間”を、どんな気持ちで過ごしているのか?焦りや不安に飲まれていないか?を観察してみることが、とても大切です。
もし、ワクワクしたり、あたたかい気持ちでその時を待てているなら、その期待はあなたの人生にとって良いエネルギーになるでしょう。
でももし、落ち着かずにスマホを握りしめていたり、相手の行動に一喜一憂しているようなら、そこには何らかの“不純物”が入り込んでいるのかもしれません。
いまの自分は、どんな“待ち方”をしているだろう?
そんな問いを、自分に返してみましょう。
Step4|それは“手放すべき期待”か?見極めよう
すべての期待が悪いわけではありません。
ただし、以下の視点から“再検討”することが必要です。
- これは相手を信じる“信頼ベースの期待”か?
- それとも不安や寂しさから生まれた“依存・コントロール的な期待”か?
もうひとつ、大事な問いがあります。
その期待は、今の私にとって“成熟した期待”か?
成熟した期待は、相手の自由を尊重しながら、それでも分かち合えたら嬉しいという“あたたかな余白”を持っています。
一方で、未熟な期待は、
こうしてくれなきゃ困る。
ここうするのが当然でしょ
という、“正しさ”や“義務感”に支えられています。
もしもそこに「こうあるべき」が強く混ざっていたら……それはあなたを守るどころか、苦しめる期待になっているかもしれません。
Step5|“株式会社じぶん”に投資し直してみる
最後に、それでも残る「叶えたい願い」があったら、今度はそれを他人ではなく“自分の手で”叶える方法を探してみましょう。
大切にされたい → 自分を丁寧に扱う
認めてほしい → 自分の努力に自分が拍手する
多くの人が、知らず知らずのうちに「自分の願い」を他人に投資しています。
まるで、“株式会社じぶん”に出資するべきお金を、“株式会社あの人”や“株式会社親”に回してしまっているような状態。
でも、他人の会社に出資したって、あなたが得られる保証はどこにもありません。
一度、自分の中にある願いや期待を取り戻して、 “じぶんという企業”に改めて投資し直してみましょう。
こんな私を信じてみたい
こんな未来を自分でつくっていきたい
そんな姿勢が育っていけば、 人に期待しすぎる必要は、自然と薄れていきます。
まとめ|悪い意味での「人への期待」だけ手放そう
期待は、本来悪いものではありません。
あなたなら、できるよね!
もっと良くなるって、信じてるよ!
そんな“信頼ベースの期待”は、時に人を育てます。
けれどそこに、「寂しさ」「埋め合わせ」「不安」といった不純物が混ざると──それは知らず知らずのうちに、相手をしばる“見えない鎖”になってしまうこともあります。
「期待しない人になる」のではなく「不健康な期待だけ、そっと手放す」そんな選択ができたら素敵ですよね。
そうやって、他人に預けていた願いを、静かに、自分の手に戻していく。
その先にあるのは、「自分で自分を生きる」ための、やわらかな自由かもしれません。
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